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答えは自分の中に・・・・・無い。
2018年02月12日 10:54「答えは自分の中に在る」・・・・・百歩譲ってこの言説が事実だとしても、ああ、でも、僕はこれは事実だとは思っていません、あくまでも浅い領域の出来事であればそうも言えない事はないとは思うのですが。
うっすらと思っている観念様を自分で直視しないように否認し続けている中で、その否認という鉄の扉を誰かに解き放ってもらう、その時にのみ「答えは自分の中に在った」と催眠的にナルシシズムに基づいて感じる事が出来る、というのは事実だとは思うのですけれど。
もっと深い、というか通常の、答えは自分の中には用意されてはいない、自分の中、それは無意識とか時には心とか名指されているものの中、そこには強固な思いではなくただ、単語が、文章化されていない単語がただ散乱しているだけでしかない、強固で明確な思いというのは意識の領野に存在しているものなのですから、それ以前の文章化されていないものは無意識に単語として、時には単なるノイズにしか感じないような取るに足らないものであったり、しかしそれこそが潜在性なのだと思いますが。
語らいや経験の中で刺激を受けると、その刺激という新たな言葉が自分の無意識の中に侵入してくる、その言葉に触発されて元々自分の中に在ったノイズとしての単語がある文章を形作って意識に浮上してくる、という過程。
何の刺激の入力もない中で焦燥感の元「答えは自分の中にあるはず」と必死に一人で探してみたところで本当のところは、求めているものが深いものであればあるほど、何も見つかりはしないようにも思います・・・・・・・・・と、カウンターとしてかなり極端に書きました。
答えは元々自分の中にあるものではない、自分の中には今まで自分が経験してきた事、これは見たり読んだりしたことも勿論含めて、単語というノイズ状のものが渦巻いているだけ、もしくはカオス、そこに新たな有効な刺激が入ってきた時、自分の中の単語が自然と整列し始め、文章を形作る、ただ、経験していない単語は自分の中にはない訳ですから、文章は歯抜けになる事も多々あって、その歯抜けに何を当て嵌めたらいいかは人に聞けばいい、アドバイスとか言われる行為ですね。
「あなたは本当は分かっているはず」と言うのが効果を発揮するのは、本当に、浅い領域での話に限ってなのだと思います、だから自分中を必死に探しても答えが見つからない、と絶望する事は決してない、ある程度以上深い領域の答えを得ようとした時には良質な刺激の入力が不可欠なのですから、答えはその刺激によって生成され始めるのですね。
・・・・・・余談ですが「答えは自分の中に在る・・・・・答えはあなたの中に在ります」は、その言葉をそっと差し出す者の責任逃れである事が、決してないとは言い切れない場合も、皆無ではない。
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