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精神の輪郭
2016年05月09日 09:37身体に自他や自分と環境を区分する輪郭があるのと同じように、精神にも輪郭があるのでしょうね。
精神に輪郭がなければ自他の意識の区分も不可能なのでしょうから、当然といえば当然の事なのですが、・・・・区分できなければ自分が思った事なのか、人が思っている事なのかすらあやふやになるのかもしれませんし。
その輪郭はどんな形をしていて、なにで出来ているのかは知りりませんがーーだって精神って目に見えないですしねーーその輪郭の大部分もしくは一部分はプライドという言葉で言い表されているようなもので出来ているんじゃないのかな、と想像させられる事があります。
そこには自分は自分であると思える事であったり、固有性を了解・認識する事であったり、自立や共闘や希望を見据える事であったり、時には理論武装する事なども含んでいて。
というか、そういったニュアンスを実際に垣間見させてもらう事が非常に多いのですが。
衝撃に晒された時、または衝撃に晒され続けているただ中で自分の精神の輪郭を保とうとする時、プライドというのは大きな役目を果たしますし、また、そういう状況にあっては、プライドを適切に通常より強固にする事も非常に有効だと思います、そうしなければ精神の輪郭が保てなくなるのかもしれません。
よく「プライドなんかかなぐり捨てて」みたいな言葉も聞きますが、あれはプライドなんかかなぐり捨てて唯一の目的に邁進する自分、という強固なプライド纏っているのだと思います、なんか最強っぽいですよね、それって。
適切なプライドがなかったら精神の輪郭は保ちにくかったりするんじゃないのかな。
プライドが邪魔するという使い方をされたりもして、なんかプライドって悪者みたいに言われたりもしますけど、もし本当に邪魔をしているのだとしたら、それはプライドじゃなくて、突き詰めればそこにあるのはーー失敗を経験する事で傷つきたくないという恐れーーなのかもしれませんね、まあ、これは僕も含め誰にだってある事ですけどね。
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