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精神分析的 古典的 エディプスの呪縛

2017年04月14日 08:48

成長段階で、自分は万能ではない事を、身をもって教え込まれる事、思い知らされる事、というのは多分大切な事なのだとは思います。
それは自分が大人になって自立した後、自分自身で様々な選択や挑戦を繰り返す上でも役に立つ。
やはり万能感が無鉄砲に変質してしまっては破滅してしまう可能性だってあるのでしょうから。
自分に対して、万能ではない事実を思い知らせる役割を果たすのは、それはやはり自分より大きな力を持った大人であったり、年長のものであったりするのでしょう、通常は身近な大人ですね。
そこであまりにも強く思い知らされ過ぎてしまうのは、逆らいようの無い位にまで思い知らされ続けてしまうのは、どうなのかな、よくないようにも思います。
そのまま大人になって社会に出て、力関係の中で委縮し過ぎてしまわないとも限らないし、無意識的に隷属してしまわないとも限らない、だから去勢され過ぎてはいけないのだと思います、完膚なきまでに・・・・・・・これは比喩的な表現として、その人から永久に元気や勢いを奪う、という程度のニュアンスで。
一般的には親子関係において、それは本当に親子関係と言えるのか、主従関係なのか、支配関係なのか、よく分からない関係性になっている、又、支配する手段も様々でしょうが。
そう、相変わらず極端に書いてはいるのですが、やはり去勢が行き過ぎてしまうのはよくない、自分に価値を見出すポイントが大きくずれてもしまいます、従う事こそ自分の価値であるという思いに至らないとも限らない。
時々思います、また極端な話になってしまいますが、そして話が微妙に逸れてしまいますが、なんとなく話を拡大して、もっと大枠で言えば・・・・・・精神分析的・古典的エディプスの呪縛みたいなものは、時にはシニカルに笑い飛ばしたっていいし、ヒステリックに燃やし尽くしたっていい。
そういう態度をとる事なしには、呪縛を逃れられないような状態に追い込まれた、これは成長段階で本人の意思に反して関係性の中で追い込まれたという事ですが、そういう場合もあります。
委縮する必要はないのだし、隷属する必要も全く無い、勢いを取り戻して力ずくで振り払ったっていい、強く抗ったっていい、逃走したっていい、そしてその先で自分らしさを構築してゆけばいいのだと思います。
これは行きつく先みたいな話ですから、この手前のどこかで落しどころを探ればいいのですけれどね、行き過ぎたものを、過剰に注入され続けたものを、適正に戻すために。

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