神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


純度の高さ

2019年01月09日 09:46

心とか無意識、それは混沌としたノイズで構成されている、言語が意味をなさずに蠢いているだけ。
無意識の中に渦巻くノイズ、そこに外部から刺激が入力されると、元々自分の中に渦巻いていたノイズの一部分が活性化される、ノイズとノイズが融合し整理された結果として何らかの新たな想いが、自分の中から湧き上がってくる。
その想いが強ければ強いほど、自分にとって必要であればあるほど、確信が生まれる、その生成された想いが自分の唯一の想いであるかのように、自分の意味でもあるかのように、これは前景化するのか、もしくは前景化した効果として背景に退いたその他の全てのまだ形を成していないノイズでしかない要素を、構成していないただのノイズとしか見なせないものを焼き尽くすのか、自分にとっては不要な取るに足らないものとして。
前景化した想いと自分との対峙、自分の意味との対峙、想いが強く鮮明であればあるほど対峙はただの対峙ではなくなる、倒錯、距離感や客観性を喪失し没入になる、前景化した鮮明な意味に没入し意味そのものに、自分がなる。
唯一の意味として、自分の使命や宿命や運命、自分が生きている限り、なすべき唯一の体現として、そのものでしか在りえない自分。
それがポジティブであればそれに越した事はないのでしょう、しかし逆にネガティブだとしても、生成された想い以外の全てのノイズを焼き尽くした自分、役尽くした結果として自身の無意識は唯一の想いだけで満たされる・・・・・ように感覚する事が出来る、純度の高い自分、ノイズが混入していない高純度、これは見るものを惹きつける、宝石と一緒、純度が高ければ高いほど価値がある、美しい。
唯一を携えて、その唯一としての自分であり続ける、突き詰める、ノイズを焼き尽くし排除する、唯一の純粋な想いのもと行動する、価値の高い宝石として、活動し続ける。
純度の高いものは美しく光り輝き、見るものを惹きつける、純度の高い、というか、純粋な善、100%の善、純粋な悪、100%の悪、どちらも同じように美しいのでしょうか、万が一その美しいものに惹きつけられた時、それが善なのか悪なのか、冷静に判断する事は可能なのでしょうか。
多分一般的にはそれが不可能だから、大きな善意を向けられた人というのは、まずは警戒感が湧き上がってくるのかもしれないですね、拒絶する人だっています、その時その人は相手の純度に大きな違和感を抱いたのでしょう。
ただ、ポジティブな高純度は他のポジティブな高純度を感覚しやすいし、ネガティブな高純度は他のネガティブな高純度を感覚しやすい、というのは事実、今の自分がどちら寄りなのかによって、誰が寄ってくるのかが決まる、とも言えるのだと思いますが。



—————

戻る