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純粋 無垢 ピュア

2015年12月24日 09:27

僕らは、純粋とされるものや無垢とされるものが好きです。
見ていて又は接していて、癒されるから?心が洗われるから?

そこには、僕らが純粋なものや無垢なものを渇望している、という想いがあるのかもしれない。
純粋なものが存在するに違いない、そしてそのものに接する事によって、自分を満足させる事ができるかもしれないという想い。

純粋なものとは、何者でもない、何の想いも持たない、なされるがままのもの、とも言えるでしょうか。
だからこそ、それを見たものが想いを投影する事が出来るのでしょう、真っ白いスクリーンに映像を映し出すように。

一般的に言われるピュアとは違うのだと思います。
ピュアとは、一途ということなのかな。

ピュア(一途)なものには、自分の欲望を映し出すことはできませんね。
そのものは、自身の一途な強い想いを携えているのですから、映し出そうとしても拒絶されてしまいます、スクリーンには既にそのものの映像が映し出されているのでしょうね。
だから、僕らにできることは、共感・応援・勇気をもらう、こういうことだけでしょうか。

形のはっきりとした強く主張してくるものと、なされるがままに変形して一切の欲望・主張がないもの。

と、寝起きのぼ~っとした頭で素っ頓狂な事を書いている訳ですが、多分支離滅裂になっているのだと思いますが。

あぁ、そうなのかな、こういう事を言いたいのかも知れません。
僕らが、なにかを純粋なものとみなしたり、決めつけたりという事をする時、そのものに自身の想いを捨てろ、と命令しているといった可能性も否定できない。
こんな感じなのかな。
・・・・朝から訳の分からないことを考えてしまいました。

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