
神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。
純粋でい続ける事
2018年02月14日 09:48純粋なものに魅かれるという感覚は僕にはないのですが、ただ守る義務を感じるだけで。
自立する、社会に出て、他者に揉まれて、埃にまみれて、泥だらけになる、持ちあげられ足を引っ張られ、称賛され陥れられ、それでも何かを呑み込んだり駆け引きしたり、生存競争なのか実存をかけるのか・・・・・・実存競争ってあるんでしょうか、実存をかけるという事か、そんな中で生きる力が増してきて、逞しくもなってくる。
自立するとはある意味、純粋でいる事はできなくなるという事なのかもしれないですね。
純粋なものと対等な関係は築けない、純粋なものは保護されるしかない、純粋の象徴、子供がそうであるように。
純粋で在り続けたいというのは、自立したくないに通じる場合もある。
大人になり自立して社会に出る、その時純粋で在り続ける事は保護を必要とする子供であり続ける事にも通じる、たくさん傷つきますね、周りの、他者という大人たちからたくさん傷つけられます。
危険と隣り合わせでもあります、というか危なっかしくてしょうがないんじゃないでしょうか。
泥まみれのその先でこそ出会える、人それぞれの本当の純粋さ、というのがあるように思います。
・・・・・・・・話は逸れますが、嗜癖としての依存者の中にはターゲットの前で純粋さを表現する人もいらっしゃいます、それは自分はなにも出来ない子供であるというメッセージであり、保護しろという命令でもある。
—————