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綺麗な色に何を思うのか

2016年05月22日 19:59

万華鏡かぁ、そうですね、万華鏡・・・・・・。
子供の頃、よくのぞいていたような記憶があります。
祖母が持っていたのかな、まああれは覗いているときれいなんでね、だいたい物心ついた位から、ちょくちょく覗いてた、グルグルまわしながら。
万華鏡に限らず、なんとなく綺麗なものを見ていたいような時期って、あったように思います。
ビー玉やおはじきを光に透かしてとか、貝殻の内側のキラキラした部分とか、折り紙で綺麗な色の水作ってベランダに並べて眺めるとか。
そういったキラキラを見て、なにを思っていたんでしょうかね。
大人の視点で美化して言えば、未来に希望を見据えていたとか、自分の無限の可能性に想いを馳せていたとか、そんなような話にしかならないのは目に見えている訳でね。
でも、フッとその時の心性にうまくリンク出来たように感じた瞬間に思うのは。
輝く未来を思っていたとかそんな事ではなく、ただその瞬間を楽しんでいたんじゃないのかなと思います。
何者にも規定される事のない自由、思った事をただ思ったように表現する事を許されていた自由、もちろん責任を負っていない自由、そういった自由さと、キラキラと光り輝く綺麗な色というのが、同期していたんじゃないのかな、まるでその時の自分を色で表現しているかのようで。
だからこのキラキラは、その時の自分自身を表していて、ただただそれだけが大切で、ず~っと見続けていたかった。
なんとなく、今を生きる、自分は大切、という事を何の考えもなしに自然と体現出来ていた日々、みたいなね。
そんなふうに考えた時、大人である今、万華鏡を覗き込んだり、おはじきを太陽に透かしたりしてみたとして、どんな事を思うのかな?
過ぎ去った日々を懐かしく回想するのか、取り返しのつかない大切なものに切なさを覚えるのか、もしくは「おぉっ、き、きれ~い・・・・」と思って、今を生きちゃうのか、自分は大切と思っちゃうのか。
だから逆に考えれば、「きれい」と思えるという事は、もしかして今を、そして自分を、大切にしているという事につながったりもするのでしょうかね。
なんというか、こじつけファンタジーぽいですけど

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