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考える力

2016年09月25日 09:00

生きるというのは、なにか、試行錯誤、暗中模索、臨機応変・・・・・こんな感じもあるのかな、あとは何でしょうか・・・・・場合によっては出たとこ勝負みたいな考え方もありますね。
時々、岐路で何かを選択しながら生き続けるのでしょう、選択に際してある程度は自分の考え方が定まってたほうがいいのだとは思いますが。
その、考え方の元となるのは、なんらかの理論のようなものなのか(なんちゃって的な理論は除外してということで)、それとも経験に基づいた何かなのかーー多分外傷体験も絡んでくるのだとは思いますがーー。
多くの場合、理論というのは、実際に社会で起こっている現象を観察して、それを最大公約数的に分かりやすく整理して、組み立てられているような場合もありますし。
だから、実際にその何らかの理論を、自分の現前で起きている事象に当てはめてみようとした時に、当てはまり切らずに取りこぼしてしまう多くのものが・・・・・と言ったような事態はよくある事ですね。
でも、取りこぼすのが当たり前です、理論に当てはめるという事は、自分をマニュアルに当てはめるようなものですし。
理論もマニュアルみたいに扱おうとすると、なかなか難しいのでしょうかね・・・・そうなのかもしれません、哲学は単純、現実に起きている事の方がはるかに複雑、とおっしゃっていた方もいらっしゃいましたし。
そうなると、じゃあ、考える力を養いましょう、みたいな常套句に落ちついてしまうのかもしれないですけど。
根底に据える理論というのは自分が納得いくもの一つだとは思うんですけど、それ以外にもさまざまな理論に触れてみて、実際にその理論を応用して記述されたテキストなんかにも目を通してみて、でもそれはその記述者はそう考えるというだけの事でしかなくて、じゃあ、自分はどう考えるのかと、ちょっとだけシニカルな視点で、これは考える練習にもなるでしょうか。
絶対的な唯一の理論なんてないのでしょうし、だから色々と組み合わせながら。
なんとなくですけど、学習するために読むというのは、チョット退屈というか、でも勿論知識は必要には違いないのですが、どちらかというと思考するために読むという行為の方が、いいようにも思っていて、まあこういうのは、人それぞれの好みやスタイルがありますね。
でもまあ、何かあった時に考えればいいだけの事なのかもしれないですし、考えない方が生きやすい場合も現実的には多いですしね。
だから、逆に考えれば、考える力を持っている人というのは、ちょっと生き辛さを感じてしまう時もある、とも言えるのだと思います。

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