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自分なりの答え
2017年06月14日 08:38人間関係の中ででも、恋愛関係の中ででも、自分のこれからについてでも、なんでもいいのですが、自分が行動を起こさなくてはいけない時とか何らかの意思を表明しなくてはいけない時とか。
「正解を探そうとするんじゃない、大切なのは自分がどうしたいのかだ」という事はよく言われます(どうしたいのか?と聞かれれば、ほんとはどうもしたくない、だってしんどいし、というのもありますけれど、今はひとまずこれは置いといて・・・・)。
そう、確かにそうではあるのだけれど、ただ闇雲に自分がどうしたいのか考えろと言われてもね、やっぱりそこでは、自分のこの選択は正しいのだろうか、という不安が芽生えてしまう事もある、そんな中で「いや、自分はそうしたいんだ」と自分を思い込ませようとする、でもちょっと気を抜くと、また不安に苛まれてしまう、というスパイラル。
正解は、というより答えは沢山あると思うのです実際、だからその沢山ある答えを知ってから、自分なりの選択をしたっていいのだと思います、まだ経験が豊富ではない事案の場合は特に。
沢山の答えを知った上で自分なりの選択をするのと、どんな答えがあるのか全く知らない中で、それは他の人は普通はどういう選択をするのだろうかという事を知らない中でとも言い換えられると思うのですが、そんな中で自分を鼓舞して闇雲に選択する事、これは納得や安心感という意味でも違ってきますし。
書物からでもいいのでしょうし、もっといいのは人の意見を聞きまくる事なのかもしれませんが、その上でシミュレーション、これは頭の中でのシミュレーションでも、もしくは実際にコピー・トレース・実行してもいいのでしょうし、その時に違ったと思えばすぐ引き換えしてもう一度仕切り直したっていい訳ですし。
そういう経験の中からしか芽生えて来ないと思うのですね「自分はどうしたいのか」という想いは。
迷った時は正解を探そうとするのは当たり前の事です(それは、人は普通はどうするのかという意味での)、迷っているという事は緊張や不安の中にいるという事でもあるのですから。
だから人はどういう選択をするのだろうかとか、他にはどういう選択があるのだろうかとか、自分にインプットする事も重要なのかもしれません、それは自分で考えるベースにもなりますし、そのベースをもとにして初めて、さて、じゃあ自分はどうしたいのか、と考えられるのですね、そうこうしているうちに自分の中に大量のデータベースが構築されても来ますし、そうなってきたら今度は、人の意見を聞かなくても独自に判断できるようになってくる、その時になって初めて「正解を探そうとするんじゃない、大切なのは自分がどうしたいのかだ」という事が自明にもなるのですね。
たしかに、正解は一つではない、正解は人によって違いもする、正解というか、答えと言った方が適切なのでしょう、答えは一つではない、考え方や視点次第で様々な答えがある、その沢山の答えを、まずは自分で見聞きしてインプットする事は大切、不安や緊張の中でイチかバチか選択するより、納得の上で選択した方がいい、だからどんどん人の意見を聞いたりアドバイスを求めたりすればいいです、その時に大切なのは、必要以上にそのアドバイスや意見に感動しない事、流されない事、少しシニカルな態度も要求されるでしょうか、そうやって徐々に自分なりのデータベースを構築してゆけばいいのだと思います、自分というのは思考錯誤の末にしか構築できないものなのでしょうし。
そして一旦は構築できたかのように思えたとしても、自発的に解体と再構築を繰り返し続ける、これは生きている間ずっと、それをしないと今度は意固地な人とか融通の利かない柔軟性に欠ける人になってしまいますから、変化し続ける環境に対応できなくなってしまいますよね。
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