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自分の中の親父

2018年09月13日 10:23

自分の父親について何故か、いきなり変な事を思い出しました。
学校を卒業して就職した時、普通は就職おめでとうとか、社会人としての心得を先輩社会人として話して聞かせるとか、普通はもしかしたらそんな感じになるのだと思うのですが、うちのオヤジは僕が就職する時「いいか、いつか他にやりたい事が見つかって、これだっと思ったら、かまわねーから今の仕事辞めてそれやれよ」と言った。
これはオヤジ本人が一つの仕事を大学卒業以降定年まで、大きな物語りを仰ぎ見ながら、しかしそれはもしかしたら忍耐強く家族の為にという事なのかもしれませんが、やり切ったという人生に対する一寸の不服申し立てであったのかもしれません、ただ定年後に仕事や会社、家族みたいで楽しかったといっていたので自分の生き方に後悔はないのだと思いますが、そして僕も父の生き方を勿論尊敬しています、それは自分には叶わない生き方、自分にできないかった事を忍耐強くやり切った人として。
これだっ、というものが見つかったら今の仕事を辞めて、思い切ってそれをやれ、という言葉に、今振り返れば自分はとても素直に従った。
これだっ、というものが見つかるたびに、オヤジには事後報告ではあるのですが、必ず報告はしていた、そしてその度になぜか否定される事はなかった、内心はどう思っていたのかは分かりません、もしかしたらオヤジが思っていたのは、これだっ、と思って昔の言葉で言う脱サラとかそんなニュアンスだったのかもしれないし、まさか3回も4回も、5回も6回も、これだっ、と自分の息子が思うなどとは予想はしていなかったのだと思う。
ああでも、うちのオヤジは僕の事をバカだと思っていたようなので、高校の時真顔で眉間にシワをよせつつ「お前・・・・・・バカだろ」としんみり言われたし、高校卒業した時には「俺はさ、お前ってホントにバカなんじゃないのかなって心配してたんだけど、一応、卒業か、う~ん、おいっ、ほんとはどっちなんだ、あれか、やっぱりバカなんだろ」とか、この辺りのディスってるんだか激励してるんだかよく分からない感じは何度もありましたけど、文字通りの頭の悪いバカ、人と同じではないという意味でのバカ、何考えてるんだか分からないもしくは何も考えていないバカ、色々なバカがありますね。
オヤジも長い会社員生活の中で、さまざまな他の職業に出会い、興味のある事にも出会い、起業のチャンスや独立の誘いも勿論あり、気持ちを動かされる事もあったのだろうし本気で考えた事もあったのでしょう。
独立したいなとか、あの仕事やりたいなとか、そしてそうなった自分をさまざまに想像していたのかもしれない、でもそんな想いを抑え込んだまま、一つの事をやり遂げた、これは転職する勇気がなかったという事ではなく、勇気をもってやり遂げた。
僕は見事にオヤジの想いを引き継いでいるのかもしれません、オヤジの想いを引き受けているのかもしれません、勇気をもって肚を決めて抑圧し続けたオヤジ、でも心の中では本当はやってみたかった、そして逆に、勇気をもってなのかどうかは自分では分かりませんが、いや多分勇気とかいう概念の枠外でそれを意識すらせずに、何度も何度もこれだっ、と思って活動範域を変えてきた自分、だから、オヤジが抑圧し続けた想いを、僕は一切抑圧せずに素直に従った自分、やりたいようにやった自分、もしかしたらそれは、オヤジの本当の想いを体現している自分、オヤジの後悔を晴らしているだけの自分。
だからこそ、あの人は、5回も6回も僕がこれだっと思って事後報告しても、何も言わずに穏やかに、時には僕の語る言葉に目を輝かせながら聞いてくれていたのかもしれません。
自分は、オヤジの想いで出来ているかのように感じてしまう事があります。
自分が経験や年齢を重ねるほどに、今は亡き、オヤジというのはどんどん美化されてゆくように思え・・・・・・・・・・現実と心的現実の狭間での追憶。
体現している人生は極端に違う、まるで両極に位置しているかのよう、両局があってこその一つのもの、一つ、合わせて一つ、とかなると自分は、オヤジと共に生きているとかちょっとしたナルシシックに入り込んでしまうのですが。
僕が思うに、いやもしかしたら人によって違うのかもしれませんが、男は年齢と共に父親に対する思い入れの方が強くなるような気がします。

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