
神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。
自分の名前の由来
2017年12月18日 11:26「あなたの名前の由来は何ですか?」などというナルシシックな質問を、不意打ちのように投げかけられると・・・・・・戸惑います、堂々と答える気にもなれない、何故なら自分の名前というのは自分で考案して自分に命名した訳ではないから。
誰かが、何らかの想いのもと、もしくは直感的に浮かんだとか、ほろ酔い気分でやっつけでとか、自分以外の者が自分に付けた、その名前には多くの場合想いが込められている、名付けた者独自の想いが自分に刻印されている。その、名付けという儀式には一切の抵抗は許されない、その名前は自分に一生付いてまわる、これはそう、名付けた者の想いを一生背負い続けるという事でもある、名付けたものと自分との関係性は今はどうなのか、尊敬や感謝はあるのか・・・・・・・とか考えだすとキリがない事でもあるのですが、自立と同時に自分に新たな名前を付けてもいい、改名してもいい、とかあれば、何かを断ち切るきっかけになりそうな気もしますが、そんな仕組みは存在しないですしね。
「あなたの名前の由来は何ですか?」と聞かれて「私が生まれた日、桜の花びらが・・・・・・」とか「真冬にもかかわらず日差しがとても暖かく・・・・・・」とか、語る事によって気持ちが優しくなってくる、これは間違いなく幸せな事ですね。
僕は実際に名前なんかどうでもいいとしか思っていなくて、だから自分を指し示すものなどはニックネームでも何らかの記号でもなんでもいい、その者を指し示す何らかのシニフィアンとか記号を感覚した時、瞬時にその人の顔が浮かび上がる、その人が想起される、その人自体、その人の固有性や特徴や強度・・・・・・・その人印というか、その人のコンテクスト、大切なのはただ、それだけであるようにも思え。
—————