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自分はどのように生きるのか
2017年12月05日 09:21子供の時分に歌でありました、うっすらと記憶しています「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」とか言われていた、のかもしれない昭和の時代、当時歌われていた歌詞、もしかしたらそれは巧妙な捏造だったのかもしれませんが、自分に当て嵌めて思い返せば、心当たりがないわけでもない、でも、多くの事がシミュラークルでしかないのですから、僕らはその提案や虚像をトレースしていただけなのかもしれません、そして時間の経過と共に、時代の要請に従ってなのか、同時発生的になのか、操作、提案、徐々に形を変え続ける規定、もしくは捏造されるstyle、は変わってくる、周知されてみんながそれをコピーし続ける、コピーを繰り返すたびに様々な要素をノイズとして付帯しながら、それはまるで資本主義の特徴であるかのようで。
なんか変な書き方になりました・・・・・・今の時代、仕事の時というのは自分の120%の力を要求される、常に即戦力で、常に全力以上で、常に完璧な仕事や結果を、出来て当たり前であるかのような、スキル、自己責任、フィードバック、マルチタスク。
疲弊しますね、完璧な機械、自分が所属する事を今の時点では許されている会社、という大きな利益追求機械を作動させ続ける為の一つの小さな機械としての自分。
常に最高速度で稼働し続ける利益追求機械である会社というものを構成している一つの小さな機械として、同じ速度で緊張感を保ちながら作動し続けなくてはいけない、又は、小さな機械の最高速度だけが巨大な利益追求機械を他社を出し抜く最高速度で作動させる事が出来る、そしてその事は小さな機械一つ一つの誇りにもつながるのかもしれませんが。
せめて仕事を離れた時には、昭和の時代の歌詞のように解放されたいものです、緊張を解き放って、子供に戻ってバカな事をやって、子供のように甘えて笑って泣いて、ポンコツになって。
仕事を離れて、そこでまた自分の将来の為にスキルアップを・・・・・というのも、それが性に合っている人はいいのでしょうけれど、ちょっとしんどいし、どこかで割り切らなくてはいけないのでしょうけれど、やる事やっているんだったら、あとは堂々とヘラヘラしたっていい、それは許されて当たり前、家族の長であろうが家事を一手に引き受けているものであろうが、みんなでヘラヘラしてたって全然かまわない、その方が楽しいし、こうあるべきとか言う本質のないただ漂うだけでしかない意味不明な価値観なんか侮蔑と共に遠く投げ捨てて・・・・・・・仕事を離れたところでまた、こうあるべきを押し付けられるのってきついですしね、楽しくない。
仕事が全てであるという人生の楽しみ方もいいのでしょうし、あまり多くのものを取りこぼさずに情緒豊かに生きてゆきたい、というのもいいのでしょうし。
自分はどのように生きるのか、という生き方の問題。
とにかく24時間緊張・・・・というかテンパっていてもなにもいい事はない、緊張した後にはちゃんと弛緩して、自分を解放して、それには他者との情緒的交流が一番なのだと思いますが。
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