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自分は何処へ行こうとしているのか?
2019年02月09日 11:10物事を深く考えがちな人は、自分の社会的な役割からフッと離れて緊張が解けた時や多少精神が沈んでいる時「自分はどこに行こうとしているのか・・・・・・」という類の少し哲学的な文脈にとらわれる事もある、そしてそれは自分にとってとても重要な問題であり、なかなか納得のゆく解答に出会えるものでもないですね。
社会生活で役割を担い、求められる様々なものになり、ただしそれは一抹の違和感や不完全さを感覚してしまうしかない中で。
今の自分に違和感を抱き、新たな自分を生成するべく活動領域を変える人、変え続ける人だっている、より喜びや充実感の大きい、しっくりくる、肩の力を抜いて伸び伸びと活動し続ける事が可能な自分を目指して、要は、本当の自分と言われるものを目指して。
自分はどこに行こうとしているのか、思うにこれは、僕らは決してどこか遠くのまだ見ぬ場所へ行こうとしている訳ではない、何処かへ行こうとしているようで実は、自分の中へ行こうとしている。
長く旅を続けてきている中で知らないうちにはぐれてしまって、置き去りになっている自分にもう一度出会おうとしている、置き去りにしたのは幼少期なのか、それとも青年期なのか、自我が芽生える前の乳幼児期なのか、それは人それぞれ。
行動したからといってすぐに置き去りにされた自分に出会える訳ではない、少しずつ近づいてゆく、活動領域を変えこれこそが本当の自分であると歓喜した一瞬後には一抹の違和感が芽生え始める、そしてまた活動領域を変える、そこで出会った自分こそ置き去りの自分であると思えた一瞬後にまた違和感が芽生える、そしてまた・・・・・・・・・と繰り返す事によってのみ少しずつ、置き去りの自分がいる場所に近づいてゆく。
そうやって出会いそこないを繰り返す中で、いつか迎えに行く事が出来たのなら、その時に初めて自分の在り方に本当の意味で自身が持てるのではないでしょうか、人と比べる必要も一切なくなる。
僕らは生き続けながら、成長しながら、その過程でさまざまな価値観や一般論や世間を入力される、抗いようのない中で、付帯物にまみれて四苦八苦しているうちに何処かへ、本当の自分を置き去りにしてきてしまっている。
自分は何処へ行こうとしているのか、ただ自分のいる所へ行こうとしているだけ、なのだと思います。
ただし、数多く存在する考え方のうちの、取るに足らないほんの一つとして・・・・・・・・・・・。
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