
神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。
自律
2017年11月21日 09:50自律したシステムとしての個人同士のカップリングという事でいいのか、出会いの都度に共同で組み付けられる一式の欲望する機械という事でいいのか、その場限りの、一回ごとの、ただし刹那的ではなく双方にとって有意味に、それもポジテイブに効果的に作用し合う、だからやっぱりカップリングに近いのか、信用し合うというのはなにかこんなようなニュアンスであるかのように思います。
自律・・・・・自分で立てた規範に従って、自分の事は自分でやって行く事、だそうです。
自律同士が出会い、その場限りの効果的なカップリング的なものを。
それぞれの独立した流れの中にある人と人とが出会い、交流する中でリスペクトが生まれる、信用が生まれる、その効果としてお互いに対していい作用をもたらす、ただしお互いはそれぞれ別の流れ、それぞれが生きる人生という別々の流れの中にある訳だから、常に行動を共にする事はできない、一体でいつづける事は出来ない、現実的には時間的な都合をつけて会って、その中で短い時間を共有する、信用において。
相手には相手の人生の流れや都合があって、こちらにもこちらの人生の流れや都合がある、会っている時は別ですけれど、そうではない離れている時にお互いに何が起こるかはもちろん分からない、これはお互いの気持ち・・・・・信用という気持ちは決して変わる変わる事はない、という事を一切保証できないという事、お互いの状況によって気持ちと言うのはいくらでも変わる可能性を秘めている、それは当たり前の事ですね。
都度、一回限りの信用、それがたまたま長く続く事もあるのでしょうし、残念ながらそうではない場合も、多々ある。
これが理解出来ていれば相手に対して寛大になる事も出来るのだと思います。
自律の中で、交流の都度、一回限りの完璧な信用を表明し合い効果的に作用し合う、そしてそれぞれの流れに戻り、また自律して作動する、その時には交流時にもたらされた効果的なもののおかげで自分が交流前より豊かになっている、という事をただ繰り返すしかない、都度の信用。
何らかの約束や情緒の高まりのもと相手を信用し続ける、これは相手に義務を課す事にもつながる、裏切るな傷つけるなという、相手を規定し自由を奪う、その瞬間に出会った当初にリスペクトを向けた自律した存在とは見なせなくなる。
—————