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薄れゆくあぶくのような

2021年10月21日 19:44

そもそも本能を放棄した僕らに「自分らしさ」などというものが残存しているのかどうか疑わしくもあるように思います。

これは本能を遺伝子情報と言い換えてもいいですけれど。

自分というのは環境の中で徐々に生成されてゆくものだし、そこに終わり、要は完成形というのはない、だから「環境の中で生成され続ける」と言った方がいいのでしょう。

一旦生成された自分が積分されてゆくかというと、そうとばかりは言い切れない、立ち現れては薄れゆくあぶくのような、という事だってよくありますね。

自然に自分を生成する場合はこんな感じ、逆に積極的にある一定の意思のもと形成する場合はどうしたらいいのか、というのは、やはり、エミュレーターになり切るのが手っ取り早いように思います、模倣して、模倣して、模倣し続ける、エミュレーションを繰り返しながら、自分にしっくりくる要素だけを取り込み、それを積分し続けるという、形成の仕方。

しっくりくる要素というのは自分の遺伝情報に則ったものなのでしょうから。

生成なのか、形成なのか。

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