
神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。
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2019年02月05日 11:31反省だけならサルでもできる、というのは本当の話であると僕は実感しているのですけれど、反省、それは自分がやらかしてしまった事によって相手が気分を害してしまった時や相手が不利益を被った時に、相手の機嫌を元に戻す目的でなされる事が多い。
というか本当の事を言えば、やらかした本人というのは何故相手が怒っているのか実は理解出来ていなかったりする、だから「そんなつもりじゃなかった」みたいな言い分が念頭にあり続ける事は間違いない。
「反省してます」といってそののち、二度と同じ間違いを犯さなかった人を僕は見た事がない。
反省≒そんなつもりじゃなかったんだけど、そんなに怒っているなら、なんかおっかないし、まあ・・・・・・・じゃあ、すんませんでした。
この程度の、今後自分の依頼が拒絶される恐れや自分に怒りを向けられるのを回避する術である場合も多々ある「そんなに怒んないでよ」的な。
大切なのはこんな表面的な反省というステレオタイプではない、本当に大切なのは後悔する事、やってしまった事を悔いて、もう二度としないと心に誓い、いつでも参照可能でいる事、決して忘れないでいる事、悔い改める能力を保有している人、保有していない人、学習能力の有無・・・・・・これは自分個人の経験に関しても同じですね。
反省して、相手の機嫌が治ったように錯覚できたとたんに忘却して、また同じ事を繰り返すという陳腐は、本当は最初からそんなに悪いとは思っていないから、もっと正確に言えば「なにそんなにキレてんの」くらいにしか思っていないからなのでしょうね、分かんないんです、そうとにかく分かんないの、だからしょうがないのです、そんな人に目くじら立ててもエネルギーの無駄でしかないのだけれど、だから理解してもらおうとか、良くなっていってもらおうとか思って接しても無駄、何度でも同じ事を繰り返すのです、だからそこは割り切って、繰り返しやらかされれば、その度に頭にくる訳ですけれど、その怒りを呑み込まないでそのやらかしにそのままぶつける、そういう割り切りが必要です、そこに愛はありません、見限っているのですからそんなものは在りようがなくて、ただ相手から受けた愚行を撥ね退け続けるしかない、そうしないと自分の中にストレスとして蓄積され続けてしまいますから。
たぶんこれはーー究極的やらかしーーが身近にいない人にはピンとこない話なのだと思います。
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