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言葉を手繰り寄せる

2017年02月04日 09:05

自分の事について一切の虚飾を排して話す、などという事が出来るのか・・・・・・、厳密には絶対に無理なのだろうけれど、とりあえず、できると仮定して、というか、少しでも接近するための方法の一つとして、どうやって話したらいいのか、と考えた場合に。
ニュアンス的には、紡ぎ出すでいいのか、手繰り寄せるがいいのか。
紡ぎ出す、これはなにか自己愛的な語りに偏ってしまうようにも思います、ポエム的な語り。
語られるのを待ち構えている言葉というものが、自分の無意識的な領野に存在するのだとしたら、紡ぎ出すという事は、意識的な操作、聞き手により良い印象を与える為に、意識が、理性が、言葉を選別するイメージ。
手繰り寄せる、となると、意識的な操作が介入する余地がないようにも思え、ただ言葉を発する最初のキッカケとなったワードだけを頼りに、細く弱い糸が切れないように細心の注意と集中の中で、これはフローにも通じるような心地のよい集中の中で、無意識的な領野から手繰り寄せられた言葉を、意識はただ単に、それを朗読する、だから意識が手繰り寄せられたその言葉を認識する事が出来るのは、朗読された直後でしかない。
しゃべった後で「ああ、自分てこんなふうに思ってるのかな」と気付かされる。
これは無意識的な部分が勝手にしゃべっている、といってもいいのか。
自己愛というのは、意識の領野にあるのでしょうから、無意識の領野に勝手にしゃべらせるという事は、極力自己愛を排除した中で話すという事でいいのかな、多分支離滅裂であったり、整合性が取れなかったり、でもそれこそが僕らの内面なのでしょうし。

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