
神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。
言葉を蓄える
2017年05月16日 09:02「自分は自分」と思えているという事は、それは、人に左右される事はないという事、人のいい意見は取り入れるにしても、人の言動に揺り動かされる事はない、関わる全ての人から受け入れられる必要はない、承認される必要もない。そういう状態の中では、信じるという概念は、それ程必要ではないようにも思います。人から言葉を投げかけられて、その言葉に左右され、揺り動かせられ、信じるのか、信じないのか、裏切られて傷つくのか、そういう心配は自分の芯がしっかりしていて、自分は自分と思えていれば。逆に言えば、人に左右されたくない時に、自分は自分と思うという事もあるのかもしれないですけど。そんな中では、関わる人が自然と二つに分かれるように思います、好感を抱く多くの相手と嫌悪を抱く少しの数の相手、これは尊敬と軽蔑と言い換えてもいいのかもしれないですけど。好感を抱く人の言葉であれば、ただ丸ごと聞けばいいだけだし、嫌悪を抱く人の言葉であれば、放っておけばいい・・・・・・そしていづれにせよ、丸ごと受け入れた言葉に喜びを感じつつも、その言葉に左右される事はない、取り入れる事はあるにしても。喜びを感じた言葉を、ただ蓄えてゆく、その効果として自分は自分という想いが、自信が、適切に強化されてゆく・・・・・・という極端な話でした。
—————