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話すのか書くのか
2021年03月31日 16:34話すのか書くのか、これによって結論は全く違ってきてしまう。
話すという常に現前で行われる行為の場合、それは生身の身体を晒しながら・・・・・・となるとどうしてもナルシシズムが介在してしまう、自意識とか自己顕示とか、その効果として話がとっ散らかる。
自意識、意識、自我、自我の中核をなしているものそれは自己愛にほかならないのだから、まあそういう事でしかない、話す、コミュニケーションというのは時間の流れの中で行われる訳だし、自分が話すだけではなく相手も話す、だから時間的制約もある、いつまでも自分の方だけがたらたらと喋り続ける訳にはいかなくて、そう大切なのはテンポ、その、テンポの中で深い洞察が可能なのかというとそれは難しい、よっぽど戦略的に既に話す事や話の方向を決定している場合を除いて。
すらすら話す、すらすら書く、すらすら話すという行為はナルシシズムによってなされる、それは自我の中核を自己愛が占拠しているのだから当たり前、じゃあすらすら書く場合は、書く、書く時そこには自分以外の人はいない、自己を顕示する必要はない、だから自我を排除して無意識に書かせる事が可能、自分の深部の洞察に文字列を記述させる事が可能、自分の本心により近いものというのはそこにしかないように思います。
音声言語より書かれたものの方に優位性があるように思います。
それはSNS上につい、ホンネのようなものを書いてしまう事も同じ。
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