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話す事で楽になるとは?

2016年11月05日 09:02

よく、肚に溜めこまないで吐きだす事が大切、話す事で楽になるとか、なにか精神が浄化される効果があるようにも言われますけど、カタルシスみたいな事を言っているのかなと思いますが、軽度の愚痴の範疇ならこれでいいのだとも思います。
誰にも話していない、自分の中に溜っているものを吐き出す、それは観念的なものであったり、具体的な経験や言葉であったり、それは自身が受け入れ難い事柄である場合もあります、様々な感情も付着しているのかもしれません。
受け入れ難いものを否定しながら、どうにかこうにか日々頑張っているのですから、それは調子も崩す訳ですね。
その想いを話すという事は、話したいと思ったという事は、話してスッキリするとか話して楽になるとかいうこと以上に、否定していた、自分でも認めたくはないのかもしれない、耐えがたい経験を、確かにその経験は自分の経験した事である、または現在進行形として経験中の事であると認める受け入れる、自分の歴史の1ページに書き込む事を自分自身が許可する、という事なのかと思います。
話すのは自分の口を通じて、自分の経験した事、経験している事を話す訳ですから、それは自然とその想いを自分のものである体で話すということ。
1回話しただけでは、最初は様々なネガティブな感情にもまみれてしまうのかもしれないですから、悔しさや寂しさも大きく芽生えてしまう場合もありますし、だから何度か話し続けるのがいいのですね、意味も見出しつつ。
自分の中に溜っているネガティブを話すという行為は、否定していたものを自分の経験と認める過程である場合も多いのだと思います。
話せばその経験がどこかへ消えてなくなる訳ではなくて、浮遊し腹立たしさと共に目を逸らし否定していた事を自分の歴史の1ページに書き込む・・・・その書き込まれた場所こそが、その経験本来の落ち着き場所だったのでしょうし。
あくまでも、自分にとって有効な意味を与えながら、それによってこれから何かを少し変えていくのもいいのだと思いますし。
シンプルに言えばという事なので、実際にはもっと複雑な想いの過程を経る訳ですが。
軽度の愚痴は勿論吐き出せばスッキリもするのでしょうが、自分が認めたくなかった想いや事象というのは、話した瞬間に一旦は強化され増幅される場合もあるのだと思います、悔しさや無力感も大きくなる事もあります、だからこそ意味を見出し受け入れるまで何度か話す事も必要になるのですね。


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