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語りようのないトラウマ
2018年08月21日 10:23静岡の伊東、まだ幼稚園にあがる前、2歳くらいか、汲み取り便所だった小さな平屋、一人で留守番というか置き去りというか、祖父母や父母という自分の全ての家族がそれぞれの予定で出掛ける直前に修理中で便器を外したままのトイレに誰だったか、僕の手を引いてゆき「いいか、便所にはいる時は気をつけなさい、ちゃんとまたがないと落ちるから、大変なことになるから」と言い聞かせ。
ただまあそう、気を付けないと落ちると脅されれば、大変なことになると脅されれば、その大変なこととは何なのだろうかと、実際に落ちて確認してみたくもなるかもしれません、悪魔の囁きとして。
全ての人が出かけ一人取り残された時、たしかに率先して、自分から落ちていった記憶はある。
・・・・・・・ズッポリと糞尿という汚物の中に、腰までつかった瞬間までは鮮明に記憶しているのですが、その先僕はどうしていたのか一切の記憶は消去されてされているのか、思い出すと発作でも起こしかねないから厳重に抑圧され続けているのか、全く思いだす事が出来ない、いくら思い出そうとしても、たぶん数時間後、水道のホースで水をかけられながら叱られているシーンまで飛んでしまう。
心的外傷、トラウマ、僕はこの経験というのは間違いなくトラウマだと考えているのですが。
ある特定の夢、ここ数年は見ませんが昔は疲れが溜ってくるとなのか、充実感を味わっている状況の時なのか、それともただ単にランダムなのか、それすらもよく分かりませんけれど、嫌悪の塊でしかないような夢を時々見ました。
薄汚れた、荒廃した、暗く冷たいコンクリートの湿っぽい建物、その建物には沢山の小部屋があって、その小部屋というのは何故か全部個室便所、一応時代に合わせて水洗、どの個室便所も空いている事は空いているのですが、便座も床も糞尿で汚れまくっている、だから座る事が出来ない、綺麗な便器を探してあちらこちらをさまよい続ける、しかも裸足で、だからつま先立ちで慎重に歩いているにもかかわらず時々ツルッとすべったりもしますから既に足の裏は大変なことにはなっているのですけれどね、粘着質の汚物で汚れまくっている。
なんでしょうね、この夢は、抑圧の監視をかいくぐって恐怖体験が浮上して来ているのでしょうか。
実はもうかなり前から、本当はどういう現実的状況に直面した時にこの夢を見るかというのは薄々感づいていて、それは嗜癖としての依存者を目撃した時。
嗜癖としての依存者の粘着的態度、これは汲み取り便所で腰までつかった究極的嫌悪の感覚に僕の場合は直結しているのでしょう。
相互承認や共感を得る為に語る訳ではない、古典的トラウマ、まあ、思い出せないからこそのトラウマですね、そして思い出す必要はない、というか思いだせば危機的状況に自らを追い込んでしまうしかないものとして、
僕は多分、汲み取り便所に落ちた時、怒りに満ちていたのかな、自ら率先して落ちるのにはそれなりの理由があったからなのでしょう「みんな勝手にいなくなって、だったら落ちてやるよ」的な。
その時の怒り、糞尿にまみれる究極的嫌悪、纏わりつく感覚、嗜癖としての依存者がべったりと纏わりつく感覚、嗜癖としての依存者に向ける大きな嫌悪、というか破壊衝動、それは汚物と見なしたものを破壊するという・・・・・・・・・・・直結。
だれにでも一つや二つはあるでしょうか、思い出さなくていい心的外傷。
インパクトのある夢という事で言うと、ああそう、それともう一つ、寸断された身体にあらためて出会う夢も昔はよく見ました、これはトラウマでもなんでもなくとても理にかなった、ポジティブな警鐘として。
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