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論理 情緒

2016年05月20日 09:01

常に単一の主体であろうと努力し、自分はどう考えるか、自分はどうしたいか、自問自答、内省を欠かさない。
大きな葛藤の渦に飲み込まれ続ける事になるのでしょうが、現実的な事態に直面し続けている自分という、確かな実感を得やすくもあるのでしょうか。
状況を俯瞰できる能力に長けた方もいらっしゃいます。
逆に、日々晒され続ける負荷からの心的な防衛として、心の中の一部分に部屋を作り、その部屋の中に住まわせた自分の代理人?解離した人格まではいかないまでも、それに準ずるような強めのキャラ?なにかこういったような一つの人格のようなものに日々の負荷に対応させ続け、主体はそれに関与しないのか、自動的に対応させるのか。
葛藤を解除する事が目的であったり、葛藤から主体を防御するための工夫であったりという事でしょうか。
キャラを引き寄せるのか、突き放すのか、とも言えるのかもしれないけど。

自分の置かれている状況を語る時、この2タイプは全く違う語り方をするように思います。
別にどちらが良くてどちらが悪いという事ではありません、人によってどちらがしっくりくるかという事なのだと思います。
単一の主体は、全ての自分の行動や思考が見えている訳ですから、大きな苦悩の中、時には感情の起伏も伴いつつ語る事もあります、大きな葛藤や自己分析や内省と共に、時には俯瞰的立場をとりつつ。
ーーここでなされるのは、論理付け等による咀嚼・共闘・安堵・勇気、こういった事のように思いますーー

そしてもう一方、部屋の住人として定着している強めのキャラが語る時、葛藤はあまり大きくなく、淡々と状況を語ります、実際には大きな嵐に晒され続けているにもかかわらず、浮遊感と多少の違和感の中で。
ーーここでなされるのは、情緒的な共感による安堵や癒しという名の元に執り行われるものーー

極端に言えばという事なので、通常はどちらか寄りという事なのだと思います。

強めのキャラ設定をして、そのものに環境に対応させてゆくというのは、行き過ぎなければ世の中を上手に渡ってゆく有効な手段でもあるのでしょうね。
バランスを崩さないように気を付けながら、ですね。

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