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身体というノイズ
2016年01月10日 20:55昔なにかで見聞きしたことがあるんですけど、文章だったか、聞いた話だったか・・・、ちょっと思い出せないんですが。
「身体というノイズ」という言葉。
どなたか芸術家の方がおっしゃってたような気もするのですが。
う~ん、話の内容は全く思い出せないんだけど、この言葉がフッと湧き上がってきてしまいました。
別に精神性がどうこう、とか言うオカルティックな話とは全く関係ないんですけど、むしろ分析的な文脈で。
・・・・思考(意識)と身体を分けて考えた場合、会話をするという事は、思考したことを言葉に表そうとする時、身体を通してなされる訳で。
ーーその人が思考してその人が話すんですから、当然その人の口(身体)から言葉が発声されるんですねーー
そこには、言葉を発した人の身体が関わってくる。
身体とは、表情・生まれもった容姿・仕草・醸し出す全体の雰囲気とかの想像的なもの?
人は、相手の身体を目にした瞬間に、何らかの想像を伴って、相手に欲望を向ける事もあるのでしょう。
だから、相手の言葉(思考)を素直に受け取る為には、一切の身体性を排除して・・・・・、いやいや、無理だ、身体性の排除は無理ですね。
100%理性のみに基づいた論理的思考のやりとりであれば、可能なのかもしれないけど、でもこれじゃコンピュータっぽいし。
ちょっとでも感情や欲望が入ってきてしまうと、やっぱり雰囲気や表情や文字通りの身体にも意識がいってしまいますしね。
「身体というノイズ」を排除しての会話というのは、不可能なんじゃないでしょうか。
いや~、こんな事を言っていたんじゃなくて、もっと高尚な話だったような気がするのですが。
あっ、でも、身体を通してしかコミュニケーション出来ないのだとしたら、身体に何を感じるかというのは、それを目にした相手のイメージなんだから、「お~、胸板厚くて頼もしい」とか「しなやかな感じで優しそう」とか。
それだって、同じ人を見ても人によって感じ方はさまざまだし、もうすでにそれ自体がノイズ(相手に押し付けたノイズ)だったりして。
発せられる言葉というのは、そのノイズを通して発せられるのだから、コミュニケーションの中には、否応なくノイズが含まれてしまう。
じゃあ、純粋なコミュニケーションというのは、不可能? とか。
でも、身体性も含めた上でのコミュニケーションなのでしょうかね。
すいません、ろくに考えもせずに、ただ書き連ねてしまいました。
長々と意味のよく分からない文章にお付き合いいただいて、どうもありがとうございます。
思考のまとまりもなく、思いついたままに書き連ねるというのは、書いている本人は楽しいんですけど・・・・。
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