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躾とは言えないもの
2016年11月19日 09:15特に親子関係の場合でしょうか、ドメスティックな、ある意味封印され続ける関係の中で行われる事というのは・・・・・・・。
自分は躾をされているのだと思って、教育をされているのだと思って、時には不安や緊張に晒されながらも状況や指示要求に対応し続ける。
その躾と思い込んでいるものは、自分の家がそうであるように、どこの家の子も同じ状況なのだと当初は思い込んでいて、それを当たり前の事として、だからみんなも自分と同じような状況にあるのだと思っていて。
でも、いつかは気が付きますね、どこかのタイミングで自分は他の家の子とは違う躾を、もしくは扱いを受けているのかも、という事に想いが及ぶ・・・・・・・そして反抗する事もあるでしょうし、生き延びる為に環境に適応しようと自分を抑える事もあるでしょうし。
それは、大人になってから仲間内での話として「うちの親は異常に厳しかった」という常識的な範疇を逸脱した、躾とは違う領域にあるもの。
そういった環境をなんとか生き延びた方というのは、大人になって、パートナーを選ぶ場合、自分と真逆の親子関係の中で育った人を、多分これは無意識的に、自然と、選んでいるケースも少なくないように思います。
お互いが真逆の環境で育っているという事は、性格的にも真逆である可能性もありますし、だからお互いに自分にないものを持っている人、そこを魅力と感じるのかもしれません。
そんな中で、自分の育ってきた状況について、パートナーに暴露したとして、それは自分とは真逆の環境にいたパートナーにとっては自身の想像が及ぶ範囲の外側での出来事「えぇ~、そうなんだ、う~ん・・・・・そんな事ってほんとにあるの、なんかドラマとか小説みたいじゃん」みたいな話にも。
それなりの共感はあるとは思うのですが、一番理解し、自分の想いに深く寄り添って欲しいと思う人に、そうしてもらえないという、少し孤独や不満を覚える事もありますね。
同じような経験をした人にしか分からない事というのは確実にありますし,
ひとごととして想像する事と体験を伴う実感というのは、全然違うものですし。
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