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遊び心

2018年01月29日 12:38

新たな表現、新たな造語、新たな言い回し、日本語が乱れている、とは言えない場合も多々あように思います・・・・・・・正しい日本語、美しい日本語、これは日本古来の、昔ながらの、国語の教科書的な日本語という事なのかどうなのか、よく分からないのですが。
時代が移り変わってゆく、時代が変化する、様相を変える、さま変わりする、科学の進歩、コミュニケーションの変化進化、移り変わる倫理、グローカリゼーション的に新たに立ち現れてくるもの・・・・・・・正しい日本語とか美しい日本語とか言われるものが、昔から流通している日本語なのだとしたら、それは人間を取り巻く昔の環境に適した日本語でもある、という一面もあるのかもしれなくて、昔はその言葉で状況や事象を言い表す事が勿論可能だったのでしょうけれど、時代と共に状況や環境が変わるにもかかわらず日本語が変わらなかったとしたら、言葉が足りなくなる、新たな現象等の出現に言葉が追いつかない。
時代は変わる、でも日本語は変わらない、昔ながらの言葉を用いて今の時代を言い表す、その時とても多くのものを取りこぼしてしまう、昔は存在しなかった新たな事象を言い表す言葉が無いから・・・・・・ボキャブラリーがどうのこうのではなくて、無いんじゃないでしょうかそれを言い表す言葉が、昔の言葉を無理やり当て嵌めたとしても違和感を拭いきれない。
そうなると、まだ頭の柔らかい世代の中から新たな造語が生み出される、そしてそれは非常に的確な表現でもある、これはおたく的領野から提出されるものも勿論含めて。
人間関係を言い表す言葉、人の個性とか行動を言い表す言葉、出現したカルチャーやムーブメントを言い表す言葉、情動の変化を言い表す言葉、時代背景の中で必要に応じて生み出されるしかない言葉、生み出さない事には多くの現象を取りこぼしてしまう、だからさまざまに生み出される、時には遊び感覚で、言葉は生み出され、消費され、使い勝手が悪くなれば捨てられる、さまざまな言い回しもそうですね、その時代時代にフィットした言い回しというのは確実に存在する。
別にこれは日本語の乱れでもなんでもなくて、ただ必要だから、一見ふざけたような言葉に感じたとしても、その言葉に顔をしかめる人がもしいたとしても、それは時代背景が生み出したもの、それは遊び心という時代背景である場合も時にはあるのでしょうし。
遊び心が新たな言葉を生み出す、パッと思いつくのはニュアンス的には平安時代、とか、僕は詳しくないのでよく分かりませんけれど、言葉というのは昔も今も、遊び心によって生みだされたりしたのでしょうか。
昔の遊び心は承認絶賛されているのなら、今の遊び心だって棄却する必要はない。

新たな現象が立ち現れる、それは輪郭のぼやけた漠然としたもの、それを名指す言葉が発明される、その現象が多くの人に認知される。
名指さなければ認知されないし、それは無いことになってしまう、時代の変化に目を瞑る事にもなってしまう、それがノスタルジックに過去を生き続ける事に直結してしまっては・・・・・・それはいいことなのかもしれないし、あまり良くないことなのかもしれない。


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