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鏡から見られるという事
2016年10月26日 09:12主婦の鏡のような人、亭主の鏡のような人、サラリーマンの鏡のような人・鏡には、なにか理想像のようなものが映るのでしょうか。
それは多くの場合、誰にとっての理想像なのか。
主婦の理想像は男性から見た、亭主の理想像は女性から見た、サラリーマンの理想像は経営側から見た、それぞれの、もしかしたらそうあって欲しいという、そしてもっともしかしたら都合よく捏造された理想像・・・・・極端に言えばという事ですが。
それを敏感に察知して、自分の理想像として取り込んで表現し続けるのもいいのでしょうし、逆に振り払って独自のスタイルを突き進むのもいいのでしょうし。
一つだけよくないのは、その理想像の視点に自分が立って、今の自分ーーそれは(誰が言いだしたのか定かではないと言えない事もない)理想像には到達していない自分ーーを断罪する、これは楽しくもなんともないですよね、もともと都合よく練り上げられただけの理想像なのかもしれないですし。
ちょっと話は逸れますが、鏡の前に立って鏡に映る自分を見た時、そこにこうありたい自分という何らかの理想像のようなものを見出したとしたら、これもやっぱりそうですよね、鏡の中の自分から実際の身体を持っている鏡の前の自分を断罪するのではなく、鏡に映っている自分の理想像を鏡の前の自分が目指せばいいのですね、それはあくまでも、本当に目指したいと思える時という事で。
鏡はあくまでも、自分が見るものであって、鏡の中から見られる(観察・査定・断罪)ものではないですよね・・・・・・あんまり自分にダメ出しすると動く気力もなくなってきてしまいますから。
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