
神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。
閉塞の中で、身動きが取れずに。
2018年02月17日 11:3770年代アイドル特集とか、テレビで見ると、何故か息苦しく感じる、重力が増したような、とても狭い空間の中で身動きが取れない超閉塞、これはなにもそれらの音楽がもたらす感覚という事ではなくて、自分が過ごした、自分の年齢にリンクしてしまうという事。
70年代、小学生、中学生、自分を取り巻く環境、自分が日々を送るしかない、それは時として強制的に送らされる世界でもあったのでしょうが、とても狭い世界、学校、友人、家庭、部活、塾、ただそれだけの世界、情報も限らていましたし、子供はこうするものだという強制力の中、あまり自発的に自由に、という考え自体が存在しない、今振り返った時には諦めでしかない、身動きのとれない窮屈な、温度の無いモノクロの世界。
学校、友人、家庭、部活、塾、それが自分の世界の全てなのであれば、それは間違いなくとても狭い世界ではあるのですけれど、その世界の中で自分が立ちゆかなくなると、これはそう、大人からしてみると「そんなことで・・・・・」という程度の事なのかもしれませんが、そんなその程度の事でも簡単に絶望してしまう・・・・・・・それは昔も今も一緒なのか、もしくはインターネットのおかげで世界の広さを認識していて、今の環境で自分が立ちゆかなくなったとしても、世界はもっともっと広いのだからと、その想像と共に来るべき自分に希望を抱き続ける事が可能なのか。
ただ、ネットというのは実感とは少し違った、想像的空間でもあるのかもしれませんから、その辺りはやはり昔も今も、絶望に嵌まり込むことに変わりはない可能性もある。
量的には一緒で、質的に変化したのかな、昔は情報も限られていた効果として、世界は狭いのだけれど密度は濃かった、今は情報がいくらでも参照可能である事の効果として、セカイ系、浅く広大な世界が目の前に広がっている、だから昔の世界を薄く広く伸ばして、伸ばし過ぎて穴が空いた所は消費や相互承認で補う平坦な世界、趣味嗜好のもとアクセスする、それは大量の情報の中のほんの一部にアクセスする、自分が見たいものだけを見る事が出来る社会、自分が見たい世界だけが世界の全てという。
だからどちらも限られた世界である事に違いはない、限られた世界の中で自分が立ちゆかなくなる時、やはり絶望を感じる、若い時分に絶望を感じやすいのは昔も今も、変わらない、それはまだ少ない経験しかないのですから、それが自分の全て。
・・・・・・・これからも様々な経験をして自分の世界を広げる事は出来るのだし、自分の身の置き場などはどんどん変えていったっていい、絶望した時はまずは適度の距離感のもと理解してもらう事を通じて、少しずつ。
思いつくままに、どんどん話しが逸れてゆきました。
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