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関係すること 観察すること

2016年08月22日 09:03

大きなキャンバス一面に緻密に描かれた風景画、といいますか風景画って多くの場合そうやって書かれるのでしょうけど。
これは描き手が現前の風景にフレームを設定して、その風景を切り出して、
一つ一つの対象(風景)に注意深く視点を移動させながら緻密に描いてゆく、という事になるのですかね。
でも、自分が実際にその描き手と同じ場所に立って、同じ風景を肉眼で見た時は全く違う見え方をする。
それはまあ、当たり前の事で、肉眼で見るという事は絵画のようにすべての目の前に広がっている光景に、同時に焦点を合わせられる訳ではないですからね。
遠くにある一本杉にフォーカスすれば、当然他の風景はぼやける、というかハッキリ認識しようもないという事実。
一本杉の孤高さに目を奪われ囚われれば、その他の景色はかすみます、というか意識しようがありません、ちょっと詭弁が過ぎるとも思わないでもないですが。
ほんとはこの肉眼で見た状態が自分にとって現実的な見え方なのだけれど、全てを同時に認識できる絵画的な見え方の方にリアルがあるかのようにも思っていて。

これは・・・この現象は、どうなんだろう、なんか話がずれてしまいますけど、現実的な事を、それは自分自身の事でも、取り巻く環境の事でも、という事ですが・・・・・そういうものを自分の目で見ようとする時、この絵画と肉眼の違いと同じような事が起こるんじゃないですかね。
どうしても、一つの問題ごとにフォーカスするようになるので、その結果、それ以外の事はぼやけますね、当然取りこぼします。
ーーー蛇足ですが、フォーカスした問題というのはリアリティを伴って迫っても来ますね、そしてそれは本当はあまり見たくはない、不安や恐怖を伴っていたりする場合もありますーーー
絵画を書く時のような見方、言ってみれば客観視とか俯瞰、全体を冷静に見るというのは、至難の技なのだと思います、それはもう、特殊能力の範疇なんじゃないのかな、とも厳密には思います。
「関係している人は観察者にはなれない」とも言われますし、自分の事や自分の環境なのですから、関係しない訳にはいきませんし、観察するという事はその現状から脱出しなくてはいけない訳で、そこにはナルシシズムの排除とか第三者的なシニカルさとか、一旦全てを疑う事なしには外に出られないというちょっと寂しさを伴う感情とか・・・・・まあ、なかなか難しいことですよね。
だからこそ、後から振り返った時ーーその時には別離とか失敗によって自然と環境から離れている訳でーーだからこそ「なんであの時・・・・」みたいな後悔も芽生えたりもするのだと思いますが。
結局のところ、よき相談相手を常に確保しておくという事が、一番の対策なのだと思います。
・・・・・・ちょっと消化不良のままどんどん論点がずれていってしまって、なんか相変わらずの文章ですが。
客観視とか俯瞰というのは、難しいことです、なんとか外から見ようと試みても、それは自分の意識や思考というフレームを通してみる事には変わりないですしね、かといってナルシシズムを排除する態度というのも寂しくもありますし、逆に攻撃的な(間違った、否定的な?)見方に傾いてもしまいますからね。
陽性の愛をもって見る事を排除するのですから、クールな視点、冷徹な視点、破壊の視点、否定的な視点、逆に倒錯して全てを盲目的に肯定する目的で・・・・そんな危険性もありますね。

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