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陰性の愛の行方

2016年08月15日 20:38

きれいごとを排除した時「世界は、親切と文字通りの陽性の愛と、そして嫌悪という名の陰性の愛で出来ている」
自分の感じる世界は、という事なので、要は自分の精神的な世界は親切と陽性の愛と陰性の愛で出来ている、という事になるのでしょうか。
陰性の愛と言うのは、意識していない時は、というか衝撃を伴った特殊な経験をした事のない多くの人にとっては、そうそう意識されるものではないとは思うのですが。
まあ、優しいだけの人が不気味であるように、陽性の愛だけを振り撒いている人というのも、なんか・・・・なかなかどうして、というか、人の本質としてはそんなことはあり得ないのだろうし。
もしそれが可能なのだとしたら、昔は陰性の愛に偏りがちだった人が、何らかのきっかけで陽性の愛に傾いた・・・・これなら分かりますけど、多分その人の歴史を遡って平均すれば陽性陰性が5対5位に落ち着くのでしょうし、そして最終的には陽性の方が優位になっていくのかなと。

しかし、問題はあれですね、陰性の愛に囚われる時間というのは、本人にしてみると、非常にしんどい時間である事には間違いない。
そういうあなただからこそ、人に陽性の愛で接する事ができる(優しさを差し出す事ができる)という見方は間違いではないと思いのですが、それでも陰性を保有し続けるという事は、ご本人にとっては厳しい事です。
自分の意識を変えて、陰性を陽性に変換(赦しの文脈)・・・・・という事も言われたりもしますけど、衝撃を伴った特殊な経験ということから考えると、それは通じようがない訳ですしね。
だから最終的には、自分の環世界から排除する事によって処理するしかないというか、だから愛の対象でもなく、親切を差し出す対象でもなく、自分の環世界には存在しない、対象とすらも認識しようのないものとして。
ちゃんと怒る、という事も有効だと思います、これは一人で怒りを循環させるのではなくて、そうすると時間と共に怒りは薄れるどころか、どんどんあらぬ方向へ増幅する可能性もありますし、行動化の危険性だってないとはいいきれないですし。
怒りは、口に出して、吐きだして、少しだけスッキリしたように感じて、しばらくするとまた湧き上がってきて、そしてまた口に出して、吐きだして・・・・・「もうどうでもいいか、前に進もうかな」と思えるようになるまで何度でも。
怒りは我慢していれば自然に消滅する感情です・・・・・というのは、日常における平凡な怒りの感情の場合に通用する常套句ですしね、衝撃を伴った特殊な経験には当てはまらないことです。
怒って、怒って、疲れて、バカらしくなって、どうでもよくなるまで、吐き出してください。
なにもこれだけが有効な手立てという事では決してありませんが。
負けないで、頑張って下さい、押しつぶされないように。



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