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食べない事 食べ過ぎる事 強迫的な事

2016年05月29日 18:57

「なに食います?」とか「めし行きます?」とか聞かれた時、なんか最近「あぁ・・・・カツ丼」としか答えてない、ふとそんな事に気がつきました。
あれはどうなんですか? 一人前ちゃんと食べきれば1000キロカロリー位は一気に摂取できるんですかね、無意識的に効率を求めたりしているのか、ただ考えるの面倒で条件反射的に、食事~選択~思考の放棄~カツ丼、みたいな強迫的な回路が出来上がってしまっているのか。

・・・・食べるという行為は、考えてみるとなかなか難しいものですよね。
生命維持のためには、適切な量を適切なタイミングで「あぁ、おいしい」と摂取すればいいだけの事なんですけど、それが自然で当たり前であるべきなんですけど、人間の場合はそこに精神的な作用も関わってきてしまいますから。
精神的作用によって食べる事を放棄してしまう事もあるし、一旦過剰に詰め込んでしまう事もあるし、強迫的に食品の選別をする事もあるし。
でもそうする事によって、そうする事の効果として、ストレスをストレスと感じないようにする事が出来たり、不安を覆い隠すことが出来たり、要は強迫観念に代表されるようなものを感じないようにする為に、観念を行為(この場合は食)に置き換えるというか。
不安を、食べないことやたくさん食べる事に置き換えて、そちら強く目を向ける事によって、本来最初は感じたかもしれない不安を見ないようにする、あまり感じないようにする、という場合もあるのかもしれませんね、実存の不安を生存の不安に置き換えるとも言えるのだと思いますが。

だから、それだけ大きな不安やストレスを、本当は抱えているんですよね、その不安から心を守ってくれているのは、この場合は食べない事だったり、一旦沢山詰め込むことだったり、そういう行為が、守ってくれている事は確かなんですね(さみしさ、満たされなさ、不適切な評価、自信のなさ、こういったものも不安のもとになるのでしょうし)。
でもやっぱり、そこにも葛藤があったりもして、つらい訳です。
改善の為に、いきなり全ての不安やストレスを直視してしまうというもの、それはそれで厳しいと思うんですね。
「ドンッ」と現実的なものが迫ってきて、驚愕に晒されてしまいますから。
だから、少しづつ、最初はチラ見しつつ、なんて言うかホラー映画を指の隙間から覗くイメージで、少しずつ、支えられながら見つめてゆくのがいいと思います。
ーー食以外のさまざまな強迫行為も、これと同じような回路である場合もあるように思います、また、不安を感情の起伏の激しさに置き換える場合もあるように思いますーー
もっと軽い話を書くつもりだったと思うんですけど、ちょっと真面目な話になってしまいました。
人間は元々強迫的な存在なのかもしれません、そうじゃなければ社会も成り立たないですしね、だから徐々に適正な強迫性を発揮できるように、一人で出来る人もいるのかもしれませんが、誰かに支えてもらいながら修正していって下さい。
本来、適切に強迫的であるという事は、社会性を発揮できる能力や、何かを成し遂げる能力に長けている、という事なのですから。
最終的に、健康維持とか体を鍛える事などに目を向けて、徐々にシフトしていかれる方もいらっしゃいますし。
これはまた人それぞれなのだと思いますが。

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