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3つの自分 3つの人生
2018年05月17日 09:46自分の役割というのは一つだけではない方が楽しいのか、特に社会において、いくつかの役割を担っている、その役割に適したそれぞれ異なった自分が対応するという、本体から分割されつつ接続を保っている自分、なんですかこれは、キャラほどポップではなく、人格の多重性ほどヘビーではない・・・・・・モジュール、プログラムモジュールというニュアンスが近いようにも思えるのですけれど。
役割により全く異なった自分が立ち現れ続ける、3つの役割を担っているのであれば3つの自分、4つの役割を担っているのであれば4つの自分、複数のプログラムモジュールを保有している本体としての自分。
日常的なスタイルとして、役割の一つに徹する時間が終了し次の役割に移る、次の役割に移った自分というものは、最初の役割に徹していた自分とは全くと言っていいほど異なった自分、関わる人々やコロニーも全く違っている、それぞれの役割というパラレルな人生、まるでいくつかの異なった人生を生き続ける自分であるかのような。
時間感覚、夢中になっている時、自分というのは時間の流れの中に没入しているのであれば、それは時間というものを自分が客観的に外から認識する事は不可能であるという事、だから時間感覚は喪失するのでしょうし、夢中で生きるという事は時間感覚を喪失し続けるという事。
生きている事を実感するという事は、時間概念の枠外で自分が行為し続けるという事、一つの役割に徹し、その役割に夢中になり時間感覚を喪失する、それは一つの人生しか生きられないという事なのか。
逆に、3つの役割を担い、そのそれぞれに夢中になり続ければ、結果的に3つの人生を生きる事が、人の3倍の人生を生きる事が可能、なのか、どうなのか、ぼくはそういう実感を得る可能性は大きいと思うのですが。
役割が切り替わる瞬間に自分の時間は切断される、キャラと多重人格の落しどころの辺りにおいて。
3つの時間または人生が、階層になっている訳ではない、どれも同じように重要だから一つのライン上で切断を繰り返す、器用に乗り換え続ける。
3つの役割、3つの切断された時間、3つの人生、それぞれに夢中であれば時間概念の外側で人の3倍の人生を生きる事が出来る、ような気がします、人生と時間は関連つけようがない。
事後的にそれぞれの切断はつなぎ合わされる、つなぎ合わされた3つの時間、3つの異なった自分の人生、欲張りな自分という楽しさ。
寝起きで勢いだけで書いたので、意味が伝わりにくいと思います、すみません。
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