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54.生を実感する時

2014年12月09日 09:44

「まだ、大丈夫」最近、何人かの人から聞かされ、そしてこの言葉を聞くたびに、寂しさや無力感を味わう事になります。
「まだ、大丈夫。自分でできるから手出さないでそこで見てて」こういった意味での「まだ、大丈夫」なら、多少はハラハラしながらも、傍で見ている事が出来るんですけど。
問題は、このままいけば失敗するのが目に見えているにも関わらず、本人としても、そうなる事を承知の上で突き進んでいる、といったような。
自傷行為なんてものではなく、自己破壊衝動に駆りたてられているんじゃないかとしか、言いようがない位。
なにか、全身全霊で症状を表現しているといったような状態でしょうか。
とにかく失敗するところまで、限界までやりたいと。
なんでそこまでやるのかと、問いただすと、そこには本人なりの、大きな正当な理由があって、それを聞かされると、こちらはもうなんにも言えなくなってしまって。
だから、その人にとっての「まだ、大丈夫」は「不可能なのは判ってるんだけど、やれるところまでやりたい、今はまだ頑張れるから、だから今は、まだ大丈夫。そこで黙って見てて」こういった意味なんですね。
納得せざるを得ない正当な理由があった上で、これを言われてしまうと、もうどうしようもない。
その人の人生であり、それがその人の望みなら、無理やり制止して、その人の人生のある時期に、後悔を残させるわけにもいかなくて。
逆に、今まで後悔ばかりだったから、今回だけは、不可能なのは判っていて、それでも挑戦して、何かを納得したいという事なんでしょう。
だから、そんな時は、その人がなるべく大きなケガをしないように、ほんの少しの助言をしながら、しかし多くの場合は聞き入れてもらえずに、無力感を味わいながら、傍にいるということしかできません。
そして、限界が来て残念ながら失敗に終わってしまった時が、自分が役に立てる時なのかなと思っています。
今回の経験で得た事は? 充実感はあったか? これからどうしたいか? 自信になったか? そんなような事を、たくさん話したいと思います。
生を実感したいと、強く思う時って、誰にでもあるのかもしれませんが、こういう人達の傍にいると、大きな尊敬と驚愕と感動と・・・。
あまり好きな言葉ではありませんが、他に適切な表現が見当たらないので敢えて言いますが。
心を打つ、としか言いようがありません。

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