神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


記事のアーカイブ

2015年10月14日 20:51

自分は本当はどうしたいのか

本当の自分とか、自分はどうしたいのかとか、そういった事に想いが及ぶ時。環境に対応する事で自己が形成されてきたとも言えるのではないか、という考えが湧き上がってきます。それを出発点に考えてみると。成長過程の中で、または社会性を持ち始めて以降、不足したものや過剰だったもの、または強度のある体験、こういったものを適正に戻すためやさらに増幅するため、強度を弱めるためや反復するために、何らかの行動を起こそうとする。そしてそれを、本当の自分の望みであると了解する。仕事を通じてだったり、人との関わりの中で、であったり。意味を携えて生まれてきたのではないのだとしたなら、こういった考え方も、自分について検討する方

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2015年10月13日 21:00

ビシッと威厳をもって

ホームセンターにコピー用紙を買いに行った時、お父さんとお母さんと3歳位の娘さん、仲のよさそうな家族が少し離れたところにいまして。娘さんがお父さんの足元でふざけて、お店の床にベターって寝そべってお父さんを見上げて「うへへへ~」って、まあ遊んでたんでしょうけけど。お父さんはやさしく「ほ~ら、〇〇ちゃん、おっきして、服汚れちゃうよ~、ねえ、おっきだよ」と言っていましたね。しかし娘さんの方は「いひひっ、うへへへ~」って相変わらずで、一向に起き上がる様子なし。その一部始終を、少し離れたところで商品を選びながら見ていたお母さんが、スタスタッと娘さんのところに寄ってきてビシッと威厳をもって「〇〇っ、起きなさ

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2015年10月12日 21:49

一つのバロメーター

喉のところが、ちょっとつまったように感じたりとか、しゃべる時に声帯の辺りがキュッと絞られているように感じて、ちょっと声出しにくかったりとかね。こういうのってありますね、軽いヒステリー球みたいな感じの。そういう話を聞くたびに、毎日はどんな状況でいらっしゃいますか、みたいな話もしたりするんですけどね。自分にもこの喉の感覚があった事に、なんと今日初めて気が付きました、というか認識はあったのかもしれないけど、ついに結びついたといったような。多分30代の半ば頃からあったんじゃないのかな、自分の事ってあんまり気にしてなかったんだけど、振り返ってみると、思い当たる事はたくさんある。症状だっていう認識が全く無

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2015年10月11日 09:32

なんの期待もせずに

自分が共感できる人に対して、良かれと思って何か行動を起こす。そして、もし、自分の期待通りのリアクションが相手からなかった場合、ちょっと悲しくなったり、ムッとしたり、不安や後悔に囚われたり、こういう感じもたまにありますね。共感できる人とは、自分の一部のように感じている人といえない事もないのかもしれない。共通点もあったり、似たような経験もしていたり、だからその人が嬉しければ自分も嬉しいし、その人が悲しければ自分も悲しい。そういった、自分の一部(まるで自分)のように感じている人でさえ、自分の期待通りのリアクションが返ってこないこともありますね。そうなると、まして自分の一部とはみなせないような他人の場

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2015年10月10日 21:09

社会的に生き延びる

昔の日本人の方が、生きていく為に、文字どおり「いのちがけ」だったんでしょうか。日本に限らずどこの国でも、そうでしょうけど、特に今の日本は外国からも安全で幸せな国という事みたいですし。闘争や、もちろん食料を確保する事だってそうでしょうし、もう、衣食住がどうのこうの言う以前に。戦時中はもちろんそうだったんでしょうが、生きるのに「いのちがけ」そんな時代はいつくらいまで続いていたんだろう、なんて言う事をチラッと思いました。今日一日を生き延びた事に対する充実感や安堵感みたいなのって感じる事ができたのか、それとも常に緊張と不安の連続だったのか、想像もつきません。実際の生死がかかった、文字どおりの「いのちが

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2015年10月08日 20:02

価値観を共有していた時代

子供の頃、まだ週休二日制になる前の時代の日曜日、よく父が会社でやり残した仕事を家に持ち帰ってきて、設計の仕事をしていたので、何かの図面を一生懸命書いていた。僕は毎週、父の隣でそれを見ながら、もしくは邪魔をしながら、あーじゃないこーじゃないって話しかけてた、なんか楽しそうに図面書いている父の顔しか思い浮かばない。僕が大人になり、父の定年後、その当時の事について聞いた事があります。なんであんなに休みもとらずに、楽しそうに一生懸命できたのか、と。ーー会社は一つの家族みたいで、みんなで助け合い、補いあって、仕事をやり遂げて、その結果給料もどんどんあがって、自分の居場所だったし、とにかく楽しかった、生き

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2015年10月08日 09:19

還る場所だから?

庭先にいた時に、土の匂いが妙に落ちつく事に気が付いた、竹炭も置いてあったからその匂いも混ざっていたのかもしれないけど。で、なんで落ち着くのかなと思って。今はアスファルトばっかりだけど、土の匂いって自然界の匂いだし、子供の頃を思いだして懐かしく感じる?野菜や果物、植物を育む大地だから、母なる大地的な?とか、色々考えてみたんだけど、どうも今一つしっくりこない・・・。そこで「あっ」とひらめいた、僕の答えは、生物は土に還るから。どうしましょ~、なんかね、これが一番しっくりきちゃった。生物は海から発生したって事が正しいとすれば、浜辺で潮風を感じると、そして塩の匂いを感じると、ちょっと懐かしくて、希望にみ

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2015年10月07日 21:54

優しさだけではできていない

優しい気持ちばっかりでいられるかというと、そんなことはないと思う。人の感情って、それだけではできていないしね。いつも優しい気持ちでいられる人がいるとしたら、それはその人の環境が、今の一時期ずば抜けていい状態だからなんじゃないのかな。ほら、相手の為?を思って、ぐっとこらえて優しくして、あとで澱がたまったような、モヤモヤを抱える事って、経験あるでしょ?ーーーもしあなたに対して、誰かが損得抜きで常に優しく接してくれていると感じているのだとしたら、それは、その人が本当にあなたに共感してくれているからなんだと思うよ、その人にも、あなたと同じような、やり場のない想いがあったりもするのかもしれないーーー常に

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2015年10月06日 20:48

寒くてこれしか頭にない

昔ながらのハダカ電球の下で、クリームシチューと揚げたてでカリカリになってるカレーパン。寒くてこれしか頭にない。ホワイトソースって、ず~っと食べ続けてると、ちょっと飽きてくるようにも思います。だからクリームシチューを2口食べて、一回カレーパンをかじる。そうすると、ちょうどいいかな、と。蛍光灯とか、省エネライトの明りより、やっぱり薄オレンジ色に光る、昔ながらのハダカ電球、手をかざすと暖かいし、時代に逆行しているけど、あれはすごくいい。ブルーの明りもきれいだから、それはそれでいいんだけど、寒い時にあの明りみると、なんか余計に寒々しく感じてしまいます。

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2015年10月05日 08:47

尊い事 価値のある事

「結果が全てだ」という。「頑張った過程にこそ価値がある」ともいう。一体どっちなんだ、と思っていた時期もあったけど。不幸なニュースとか、志なかばでの無念とかを耳にする事も多いです。目的を達成した時の称賛は勿論だけど。目的を持って頑張っているその人の状態って言うのは、やっぱりすごく価値があって、すごく称賛に値する事なんじゃないのかな。結果云々とは切り離して、もう、一点を見据えて行動している事自体が尊い事のように思います。志なかばでの・・・、という話を耳にするたびに、そんなふうに思います。結果が出て後で、振り返って言うんじゃなくて、動き始めた時点で、それはすごく価値のある事なんですね。

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