記事のアーカイブ
2015年12月09日 09:10
誰でも、居場所を求めます。拠り所・認めてもらえる場所・保証してもらえる場所。また、誰でも日々を過ごしている中で、弱ってしまう時もあります。弱くなってから急遽求める居場所というのは、正解の時もあるし、必ずしもそうとは言えない時もありますね。弱っている時というは、判断力すらも弱っているのですから。※いつもそうです、言いにくいことは非常に抽象的になってしまいます、といいますか常に、言いにくいことを無理やりベールに包んで、抽象的な言い回しで書いているのかもしれません。顔を見ずにハッキリと話せることって、あんまりないのかな、とも思いました。
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2015年12月07日 22:08
ふと湧き上がってくるさみしさ誰かに一緒にいて欲しいと思うでしょうかでも誰でもいい訳ではないですね紛らわすだけのためなら余計にさみしさが増すことだってありますそんな時は一人でじっと耐えるやせ我慢なのは分かり切っているけれどじっと一人で耐えていた方がマシな場合もあります
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2015年12月07日 08:58
変えようと思って、トライしようと思ったんだけど、なんとなく「う~ん・・・。」って、うまくいかなかった時。状況やタイミングがちょっと・・・、という事だってありますしね。期限がある事だったら別ですけど。そういう訳でもない時、そりゃあ、早く変えられればそれに越した事はないのでしょうが。でも、焦らない方がいい、焦らないで少し肩の力を抜いて別の方法も考えたりもすれば、いつかいい結果が出る確率が高いですよね。焦るという事は、自己否定にもつながってしまう場合もありますし、そうするとせっかく芽生えた、変えようという気持ちも薄れてしまいます。以前は変えようと思わなくて、トライしようとも思わなかったのかもしれない
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2015年12月05日 09:04
テレビでミニマリストの取材をやっていて、ちょっと思いましたけど。「何か欲しいものは?」と考えても、特に思い浮かばない、そういう事考えないで生きているのかもしれないけど、まあ、強いてあげれば、擦り切れて穴が空いたパンツが2枚あるので、それは買い替えた方がいいのかな位な感じ。考え方は人それぞれで、欲望の矛先は色々あるのでしょうね。次々と物を所有する事、人と関係する事、同じ物を所有している同士で関係する事。お互いに尊敬し合える人と関係する事、というのがいいかな、年齢とか世代とか関係なく。滅多にめぐり会わないでしょうし、もし出会えたなら、そういった事を大切にして生きていければ、なんか理想的なような気も
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2015年12月04日 19:58
僕らは割と普通に「心」って言います。じゃあ、それってどこにあるの?どういう仕組みになってるの?と、なると難しい・・・・。一般的には、思考であったり、意識であったり、自分自身でこれが自分と認識できる部分であったり。そういうのを比喩的に「心」という言葉で表してたりするのでしょうか。心が折れる、心踊る、心が寒い、心温まる、等々。でも、「心」というのは、そんなに簡単に認識できない、もっと漠然としたようなものだと思う、そんなに一つにまとまっている訳でもないように感じますし。自分でもよく分からないような湧き上がってくる感情、ハッとひらめく時の「おれって天才?」みたいな感じ、ひと目惚れの感覚、・・・勝手に湧
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2015年12月04日 09:02
考えても、どう考えても、やっぱり人には2種類あるとしか思えない。本質的に違うというか、思考自体が違うというか。コツコツとじっくり積み上げてゆく、常に地に接している人。上空から見渡して、興味をかきたてられたところにワーっと行って、ダーッとやって、また上空に戻って見渡す人。どっちもアリですね、農耕的と狩猟的の違いみたいな事にも近いのか。地に接している人からしてみれば、ワーッと行ってダーッの人は少し危ういギャンブル的な人にも見えるのかもしれませんが、ワーッでダーッの人にしてみると、いたって真剣でギャンブルとは思っていない。で、堅実にコツコツとやれている人を見るとちょっぴり尊敬の念も抱いたりしつつ、な
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2015年12月03日 09:25
自分に似た人と一緒にいて、情緒的な安心を得る。似ているんだから、やっぱり安心しますね、お互い共感も得やすいです。安らぎも得ることができて、また頑張ろうという元気も湧いてきます。自分に無いものを持った人と接して、お互いに敬意を表して、あらためて自分の長所にも目を向けられるようになる。自分より優れた部分を目の当たりにして、知的刺激も受けます。お互いに刺激し合える関係、という事でしょうか。この2つはどちらも大切ですね、幸せを感じるには、どちらもとても大切です。
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2015年12月02日 21:01
僕らが学生の頃のバイトって、なんていうか、そうだな~、一言で言うとユルかったという感じでしょうか。いや、これは分からない、僕がそう感じているだけかもしれませんし。いろんなバイトしましたけど、割と大人達から大切にはされていたように記憶してます、チヤホヤとか、腫れものに触るとかじゃなくて、社会に育まれていた安心感、社会人に見守られていた安心感みたいなことなのかな。嫌な思い出なんか全然ないし、のびのびと楽しんでた。多分お客さん扱いみたいな感じ、だから楽しいなんて事を思えたのでしょう。休憩時間とかには社員のおじさんとかも話しかけてくれて、いろいろ聞かれて、「いや~、大した事ないっすよ~、まあ、楽勝、バ
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2015年12月02日 08:50
常に的確な、そして「絶妙」な提言をしてくれる人、頼りになるし尊敬できます・・・、でも、尊敬が妄信に変わってしまう事もありますね。常に素っ頓狂な、しかし想いだけは人一倍あって、でも伝わってくるのはそれだけで大して参考にはならない「微妙」もしくは「残念」な人・・・、イジる対象になって、イジってイジりたおして、軽視してしまう事もありますね。この両極の中間がいいのではないでしょうか、ちょっとピント外れな事も言ってスベる時もあるけど、あとから思い返すと納得できる事も割とある、といったような・・・、何かあった時に提言を気軽に求めたくなるような親近感にもつながります。親近感というのは、なかなか難しいものです
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2015年11月30日 17:19
自分を取り囲む環境の中から、自分が本当に必要なもの、大切にしたいものだけを冷静にピックアップしてみる。残余物の中には、なにがあるのでしょうか。自分にとってマイナスでしかないものも多少は含まれているのかもしれません。迷惑なだけのもの、邪魔でしかないもの、破綻をもたらすもの。こういったものは、まあ、言ってみれば嫌悪・排除の対象でしかないもの。日々、状況に対応する為に一生懸命になっていると、いつの間にか、不本意なものや不気味なものを背負いこんでしまっている事もあります。ストレッサーである場合もありますね。取るに足らないものと認識できれば、そのストレッサーからどんなアプローチをされたとしても、大して気
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