記事のアーカイブ
2016年12月31日 18:00
食べ物でも、ブランドか否かに関わらず物でも、なんでも、最初にその物が生み出されたのには、理由、なんらかの背景がありますね。それは時代の必然や要請であったり、その地域の人が工夫の末に生み出した事であったり、その時代の事情による事が原因としてあったり。そういうものが時代を超えて脈々と受け継がれて生産され続けて、それを所有する事や消費・賞味する事に誇りや不変の価値を見出す、歴史の深みと共に生きる、時にはその物に敬意を表しながらと言う場合も。最初に生み出されたオリジナルのままに在る事が当たり前で、それをキッチュに変容させようとか、もっと使いやすくしようとか、もっと美味しくしようとか、そんな事は思案する
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2016年12月30日 09:15
どういう自分でありたいかとか、どういう人だと思われたいかとか、そういう事は意識していないように思います。尊敬されたい訳ではないし、人望を得たい訳でもない、人の上に立ちたい訳でもない・・・・・・もしそうなりたいのであればブログだって多数派に向けて啓蒙し、もっと癒しの言葉を並べ立てるべきなのだろうし。ーーブログは・・・・・インプットされた情報が自分の中で飽和状態にならないように、書く事によって随時吐き出しながら整理しているのだと思います、だから独語みたいな書き方になって、後から読み返すと何を言っているのだかよく分からない記述もあるのですね、殆ど理性ではなくてボケーっと無意識が書いている感じーー普通
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2016年12月28日 18:06
仕事量の多さ、責任の重さ、課されたノルマ、叱責や突き上げ、精神的余裕のなさや逃げ場のなさ。そんな中でもなんとか頑張っていられるうちはいいのだと思いますが、そういう状況には、僕らはそうそう長く耐え続けられるものではありません。身体に目に見えて不調が生じたり、朝起きたらどうしても出勤したくなくてどこかへ行ってしまいたいと感じたり・・・・・もっと極端な考えが浮かんできたり、仕事中に自分が自分ではないようにフワッとしたり、寝付けなかったり夢でうなされたり逆に寝続けてしまったり、職場の人の顔が頭から離れずに様々な感情に苛まれて動悸もしてきたり。そんな中でもなかなか休めないですね、自分の変化に気付いてくれ
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2016年12月25日 09:20
「今の若者を指導する時、怒ってはいけない」とか言われますが。そんなのはいつの時代だって同じであるような気もします。怒られるのは誰だって嫌だし、それは僕らの時代だって同じ、そして僕らの時代というのは・・・・・と言っちゃいけないのかな、だから少なくとも僕は、勿論自分より年齢が上の人から怒られた時、拒否はしていたように記憶しています、反省は・・・どうだったかな、よく覚えていません。今の若者も、昔の若者も、怒られたらそれを拒否したくなるというのは変わらない、そしてその拒否の仕方が違うだけ、これは時代や年齢に関わらず人によって拒否の仕方が違う、と言った方がいいようにも思え。例えば怒られた時「チッ・・・・
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2016年12月24日 09:15
あくまでも僕個人に関してという事ですが「自分の代わりはいくらでもいる」という考えは、裏を返せば自分は社会的なシステムを支える役割を果たしていると自負している、という発想に基づくもので、だからこその自分の代わり、という発想、歯車をいとも簡単に交換するイメージなのかなと思いますが。担っていると思えなければ、変わりも何もないのでしょうし。これは社会システムを100%受け入れて、信頼もして、依存しているからこそ芽生える考え方なのか、信頼や依存の対価としての権利、とか・・・・・そう考えた時、自分は社会にとっていてもいなくても同じ、いなくなった所で自分の代わりすら必要ない、そう思うというのは、どうなんでし
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2016年12月23日 09:00
便利なものがさまざまに開発されて、古くはカード決済システムなんかもそうなのでしょうが。現金を持ち歩かずに、カード一枚で支払いが出来るという便利な方法が考案されて、その決済の流れや仕組みとか、コンピュータ管理とか、そこに携わる人材とか、そういった大きなシステムが出来上がる、創出される。消費者はその便利に思えるシステムを利用する・・・・利用者が増えるに従ってシステムは大きく成長する、増殖する・・・・随時新たな機能を開発しつつシステムを更新し利用者を増やし続ける・・・・そのシステムの利用者が増えれば増えるほどシステムは撤退・消滅できなくなる・・・・利用者にとって必要不可欠なものに成長する、システムに
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2016年12月22日 09:21
一般的に人間は生まれたてが一番可能性に満ちている時期なんですかね・・・・・・というか未知数。小学校~中学校~高校~各種学校と経由して、でもその辺りというのは、まだまだ可能性に満ちているのかと思いますが、選択肢も多い。社会人になって、さまざまな経験を重ねる中で、自分の可能性と向き合って、以前は希望と共に持ち合わせていた、様々な選択肢を捨ててゆく、自分を知るみたいな事?自ずと選択肢は狭まってきて、同時に可能性も絞られてもきて、でもそれは、残った選択肢に邁進する為であり、集中する為、その方が可能性も追及しやすいのでしょうし。もしかしたら、人は何かを捨てながら生きる、とかを曲解すると、こんな感じにもな
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2016年12月21日 09:11
自分が所属している共同体内で、みんなに合わせるばかりではなく、自分が嫌だと思ったら、自分には合わないと思ったら、無意味でばかばかしいと思ったら、あえてみんなに合わせる事はしない、自分は自分であると・・・・・・それは勇気のある事、自分の価値観できちんと判断できているという事・・・・・と、僕らは単純に思いがちなのですが。どうも、そうとばかりは言えない状況に置かれている、特に若い方の場合には、それほど少なくない数の方が。自分がもし、嫌だと思っても、自分には合わないと思っても、何の意味もないばかばかしい事であると仮に感じたのだとしても、あえてその場に留まって、周囲に自分を合わせる・・・・・・・それは自
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2016年12月20日 08:58
幻想的なCG画像やアニメ画像というのは、目にした瞬間についつい魅入ってもしまいます。空想である、虚構である、という事は頭では分かっているのですけれど、魅入っているうちに、自分が接している現実的な世界よりも、リアリティを感じてしまう、その幻想的な世界に自分が存在しているかのようなイメージも描いてしまう。作者の方は、こういう世界があったらいいだろうな、という想像を巡らせて製作なさっているのか・・・・・だから、それは心の中に抱いている現実を、心的現実を表現しているのか。だから、作者の心的現実と自分の中にある心的現実が上手くリンクした時に「おぉぉ~」って魅入ってしまうような気もしていて。自分が日々を過
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2016年12月19日 09:27
コミュニケーションの一種としての、取り留めもない話や世間話・・・・・・相互間で重要な情報が行きかう訳ではなくて、割とまったり脱力したような日常会話。自分たちは知り合いである、友達である、友達以上の関係である・・・・・・お互いの親密さ等を確認し合う為に、ただただ会話をつないでゆく、その為の会話、会話を継続する事自体が目的であるかのような会話。こういう時は、双方あまり深く考える事はせずに、ほぼ自動的に、条件反射的に話しているような場合も多いんじゃないでしょうか、だから話す内容なんかどうでもよかったりもして、自分の考えを話すというよりは、ノリであったり、空気であったり、同調しあったり笑いあったり・・
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