神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


記事のアーカイブ

2017年01月12日 20:45

無力感から深い憂鬱へ

職場や家庭や、その他の人間関係において、逃れられない強いストレスに晒され続けた時、どう抗っても、どうにもならない時。諦めが生じる場合もありますね、ただ、なされるがままになってしまう、それが抗いきれないものであればあるほど。それは環境への順応の形の一つである事は間違いないのだとは思いますが。そして状況が長引けば長引くほど、諦めは無力感に変わってゆく場合もあります。無力感というのは、よくないです、いい事は一つもないです、自分を保つ上で不可欠な適切な自己愛も傷つけてしまいますし、まるで自分に価値がないようにも思えてきてしまう。無力感から深い憂鬱へ、それが続けば鬱状態にも陥ってしまう事だってあるのでし

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2017年01月12日 09:11

動物を進化させると・・・・・・

動物的に対して人間的・・・・・・・・動物的というのは、人間的という事と比較して、必ずしも劣っているという訳ではない、ように思います・・・・・文脈によっては。動物的、それは遺伝子のプログラムとして作動している、という意味合いみたいなイメージも。だから行動の目的はハッキリしている、一貫している、生き延びる為、そこには善も悪も当たり前の事ですが、存在しない・・・・・・善悪はその動物の行動を目撃した人間が、そこに嫌悪を感じた時にのみ、悪のラベルを貼り付けるだけ。動物は、純粋な存在、それは本能で作動するだけの存在なのですから当然の事で、だから純粋である事しかできない存在。人間の場合はどうなのですかね、本

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2017年01月09日 09:04

心を可視化する?

多くの人が共有している「心」という概念・・・・・・心ってなんだろうとか、心ってどんな仕組みになっているのだろうとか・・・・・・心・・・・これは目に見えない観念的なものなのでしょうから、そして人間の複雑な思考によって近代以降に生み出されたものでしかないのでしょうから・・・・でも、あると言い切ってしまえば、それはやっぱりあるのだと思います。そして、確かにあると受け入れた時、その心というものを可視化したい欲望に駆られる・・・・・やはり、存在するのであればちゃんと目視したいというのは当たり前の事なのでしょうし、仕組みを観察して理解や掌握をする事なしには、不安に苛まれてもしまいますから、自分のものなのに

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2017年01月07日 21:38

「心」効率とは相容れないもの

物理的な時間に対して、心的な時間と言うのは存在するのか。物理的時間と言うのは、時計の針が示すように1秒ごとに規則正しく進んでゆくのでしょうが、心的時間と言うのは、どうもそういう訳ではないように思えなくもなくてですね。まあしかし、1秒とか言うのも変な話で、日が昇って陽が沈んで月が出て、朝から夜まで、そしてまた朝まで自動的に移り変わる外界・環境を、人間が掌握する為に勝手に規定したものなのか、だから時間に追われるというのもね、自分たちで勝手に便利なように自然を枠組みにはめ込んで時間と言う概念で切り刻んだまではよかったのだけれど、今度はそれに追われちゃう、みたいな、よく分からん事態になるのですね。と言

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2017年01月07日 09:06

考える続ける力があるという才能

自分について、自分の問題について、自分の周りで起きた日常的な事について、一生懸命考える中でなかなか答えが出ない、でも考え続ける・・・・・・という考える能力の高い人。深く考え続けるというのも大きな才能だと思うんですね、なかなかできる事ではないです、集中力や持続力や根気も必要です。でもこれは言ってみれば、苦痛を伴う作業でもありますね、なかなか納得のゆく答えには辿り着かないでしょうし。多分、本来、考えるという行為に付きものなのは「快」なのだと思います、考えて考え抜いて、分かった時の「あっ、分かった」という快・・・・・腑に落ちた時の快。そちらの方向に、自分の本来持っている思考能力をシフトするには、啓発

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2017年01月04日 09:26

自分のダンナ

友達と話している時、自分がパートナーに対する不満・・・・・これは言ってみれば悪口みたいなものなんだけれど、自分がダンナの悪口言う分にはいいんですけどね。とりあえず聞き手にその話に共感してもらって・・・・・というところまではいいとしても、自分が言う以上にその聞き手が自分のダンナの悪口を、自分より過激に言いだすと、なんとな~く、その聞き手に対して腹も立ってくる。自分のダンナをあまりにも否定された時、そこに一抹の腹立たしさが湧き上がってくる人というのは、そのダンナさんと自分というのは、家族として、夫婦として、まだ今でも、大きな不満はあるにしても、それなりに一体化しているのでしょうね。だからこそ、自分

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2017年01月04日 09:13

空虚を覆い隠す欲望

家庭で、隣近所・町内とか住んでいる地域という共同体内で、職場で、友人関係で、恋愛夫婦関係で、もっと言えば相対する人によって・・・・・・・そういう時にいつも同じ自分でいられるのかと言うと、多くの場合、その場その場で、都度、使い分けている、自分を演じ分けている・・・・・キャラクターを演じ分けている、周囲の要請と同時に反復的に生成され続けるキャラクターという事なのかもしれないですけど。単純に言えば、自分が日常を送っている環境が、職場・家庭・友人・隣近所、と4種類あるとしたら、そこにはそれぞれの環境に対応する4通りの自分がいる。4通りを使い分けて演じている、それが自分であるとして振る舞っているという事

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2017年01月03日 09:13

差異 固有性

自分はみんなの中の一人であると思えるというのが、そしてそこに苦痛はなく喜びと共に、という事が一番幸せな状態なのかもしれないですね、人によってはこれはとても生きやすい状態。もしそのようにある事に、ちょっとした疑問や、もしかしたら苦痛を感じた時、その苦痛をやわらげ、逸脱をみんながいるレール上に押し戻すような療法とか自己啓発とか、そういうものもいいのでしょうし。もしくは、差異は固有性であると受容した上で、その差異に基づいて今自分がいる場所とみんながいるレールの間の、自分が生き辛く感じない程度の落し所を探る、そういうのもいいのでしょうし、レールサイドの方がレール上より多少は自由に自分のペースで走れそう

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2017年01月03日 09:08

過ぎ去り続ける埃っぽい記憶

数年に一度くらいでしょうか、人が集まった時、それはお盆であったり正月であったりするのですが。昨晩もそう・・・・・そういう時、たいがい昔のアルバム、写真を引っ張りだしてくる人がいるのですね、押し入れの奥の方から、埃っぽい記憶を引っ張りだしてくる。まあしかし、どうなんですかね、若い頃の自分というのは、これは年齢的に10代20代とか言う意味だけではなくて、今の自分より若い自分という意味で、だから過去の自分の記録全てが対象になってしまうのですが。みんながワイワイ写真に見入っている時、僕はなるべくそっぽを向いて知らん顔しているのですが「ほらっ、お前、見てみろよ、うわっダッサー」とか言われて、一応空気を読

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2017年01月01日 09:23

キョトンとする事の効果

人に相対した時、その人の何らかに魅力を感じる。それは身体性であったり知性であったりするのでしょうが。流れとしては、本人によって用意されている、要はアピールされている魅力を受け入れればいいのか、そうではなく何の用意もアピールされていない中で、自分が見い出せばいいのか。・・・・魅力をアピールするという事は、自分の唯一特徴を提示する、という事である場合もあるのかな、なんていう事を思いまして。その、自分で主張している唯一特徴に魅せられてくれる人がいたとしたら、それでいいのでしょうし。逆に、身体性も知性も主張せずに覆い隠して人と接している中で、それでも尚、相手に見い出される魅力・・・・・というのも本物の

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