記事のアーカイブ
2015年10月31日 20:20
生きていく中で「楽しい」とか「おもしろい」という感覚を得るには、どうするのがいいのかな?と思います。難しいですよね、ルーティンばかりだと、やっぱり楽しくないかもしれないし。あっ、でも充実感はあるかもしれません。これは、一つの事を極めようとして生きていこうとする時にも感じますね、充実感。日々のルーティン以外に、非日常的な経験が時々ちりばめられていると「楽しい」「おもしろい」と感じる事が出来るのかな。サプライズとか、結構やる方いらっしゃいますし、ディズニーなんかも人気ですしね。でもだからって、非日常を日常の中に組み込みましょうとなってしまうと、それも日常の一部のようになって、義務っぽくなってしまっ
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2015年10月31日 20:10
今年の夏前くらいからよく聞いている、5曲しか入っていないから、ミニアルバムって言うんでしょうか。翼ってやつ、アルバムの写真は、どう見てもジャンヌダルクにしか見えない感じで。聞いてると、なんとなく、しっかりしなきゃって思ったりもして、ただ単純に鼓舞されていると思っていたんですが。同時にすごく寂しくもなる。なんでかな・・・・、と。歌詞を咀嚼する事を、拒んでいたようでして。今日初めて、歌詞をちゃんと吟味してみましたが、薄々感じていたとおり「ほら、自分にピッタリ当てはまるじゃん、だから考えたくなかったんだよ」案の定こんな感じに。特にシナリオ・NEW...
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2015年10月30日 18:41
ちょっと気になる存在 ~ なんか、いいっ、好きかも ~ 相手を自分のイメージ通りに理想化する ~ 付き合いが深まるにつれ違和感も出てくるが「いやいや、きっとそんな意味で言ってるんじゃない」と思いたい ~ 冷静になるにつれ、だんだんと見ようとしていなかった素っ頓狂な部分に気付きだす ~ ここで徹底的に指導し育てるのか、はたまた幻滅して見切りをつけるのか、といった分かれ道に・・・・。優しく諭すように、時にはアメとムチで、徹底指導すれば、すくすくと伸びていく男性っていますかね?一つの理想形のような気もして、ちょっと憧れないでもないです。
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2015年10月29日 20:50
1日が過ぎるのは、あっと言う間とは思わないです。でも、1週間が過ぎるのはすごく早く感じます。「えっ、また金曜日なの?つい2~3日前も金曜日じゃなかった?」と言うくらい。1っか月が過ぎるのも、1週間が過ぎるのと同じくらい・・・、いやいや、それより早く感じているかもしれません。多分、1週間や1か月が過ぎるという時間感覚が頭で理解しているのと体感とでズレがあるのだと思うんですけど。僕の場合は1日の動きは日々同じという訳ではなくて、さまざまな変化があるので、時間の経過を早くは感じないのかもしれません。日によって色々と違った経験をしているという事でしょうか。でも、それを1週間1か月単位で見てみると、大き
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2015年10月29日 20:41
今の時期、街路樹のある歩道を歩いていると、棒のように細長いだけの自分にいらだつ瞬間があります。車の往来のあまりない街路樹の下を、小鳥やコウロギの鳴き声を聞きながら気持ちよく歩いていると、ジョロウグモの巣が大抵頭頂部の辺りにびよ~んって引っかかる。たまにおでこや口元にも・・・、察知するや否や思いっ切りのけぞります。鏡見ながら丁寧にとらなきゃダメなんですね、でも慌てて払おうとするから、なんか逆に顔全体にまんべんなくまぶしてしまっている、という感じでしょうか。クモの巣にはひっかかるし、玄関わきのカマキリにちょっかい出したらシャーッって威嚇されるし、カメムシはトコトコ床の上歩いてるし。最近やたらと、虫
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2015年10月28日 20:50
優しい人っていうのは、どんな感じ?陽だまりのような暖かい人、ふわっと包み込んでくれる人、共感して受け入れて許してくれる人・・・・、母性的な人?頼りになる人っていうのは、どんな感じ?盾になってくれる正義の人、時には厳しく諭してくれる人、秩序を重んじて自らを常に律している尊敬できる人・・・・、父性的な人?父性的・母性的と言うのは、実際の性別とは関係ありませんね、でも、自然と女性を見れば母性を求めてしまうのでしょうし、男性を見れば父性を求めてしまうのでしょう。イメージ的には女性をより母性的と感じて、男性の方をより父性的と感じるのかもしれません。その本来のイメージにプラスして、逆の性別の魅力が加わって
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2015年10月27日 20:47
自分の中にモヤモヤを溜め込まないためのも、話して吐き出すといい。よく言われている事です。話す時って、意識しなくても自然と相手に伝えようとの想いから話すので、頭の中で一生懸命考えながら、相手に伝わるように文章を組み立てながら、相手が理解しているかどうか反応を確認しながら、ということになってしまったりもします。一生懸命思考を働かせて話すという事は、一種の緊張状態になるということですね。そして相手が理解してくれているかどうか、自分の話し方で大丈夫なのかどうか確認しながら、という事は、不安感を伴ってという事にもなってしまいます。緊張や不安を解消する為に話す事が目的なのに、その行為を緊張や不安を伴いなが
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2015年10月27日 20:41
夢の中を浮遊するように、ただ、フワフワと漂いながら日々を過ごしたという経験が、今までにあったのだろうかと想い起してみると。たしかに、そのような経験は、あったように思います。決して強迫的にならず、社会活動からも距離をおいて、一切の現実を直視せずに、ただ気持ちのおもむくままに。思考はなかったのかと言うと、決してそういう訳ではなく、現実を遮断しているといったようなニュアンスの思考は、あったのではないでしょうか。いや、一切の直面している現実を遮断した、まるで夢物語としか言いようのない思考が、確実にそこに存在していたのではないかと思います。自身の今までのさまざまな経験を振り返ってみて、どの経験が一番充実
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2015年10月27日 08:52
大切だと感じていたものを、不意に見失った時。その大切なものが去った心の奥底に、あなたを支えていた本当に大切なものが見えてくるという事もあるでしょうか。 感謝の気持ちも湧き上がってくるでしょうか。もし、何も見えてこないと感じて、失意と共に、もう駄目だと思ってしまったとしても。そんなふうに思えるのも、あなたが在るからですね。あなた自身を大切だと思えるまで、そう思えるようになるまで。ゆっくりと休んで、少しずつご自分を慈しんでください。 思いの丈を感情を込めて話す事も大切です。 何もないと感じる事が出来るのも、あなた自身が在るからこそです。かけがえのない存在云々・・、など
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2015年10月26日 20:36
僕個人は、社会的には自分は取るに足りないちっぽけな存在である、という認識でいます。ーーこれは「自分なんか」という自虐ではなく「自分は」という客観視ーーそれなりに、社会的な役割を持ちながら生きていて、でもそれは、いつでも他の誰かと交換可能な、その程度の存在でしかない。自分がいなければ、すぐ替わりは現れる、どんなことだってそうです。企業内にしても「お前がいなくなったら困る」と聞かされると、その言葉は喜びにつながる時もあります。じゃあ、いざ自分がいなくなったらどうなるのかというと、一瞬のあわただしさの後、何事もなかったかのように機能する。弱くなる為の、または自虐にはしる為の、ちっぽけな存在という認識
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