記事のアーカイブ
2018年04月06日 10:28
自分の言動の元となっている想いというのは何なのか。たぶんそれは「カッコ悪いかどうか」と言う事でしかないように思います。それを言った事によって自分はルサンチマンに接近しはしないかとか、それを言ってなお自分は堂々と在る事が出来るかとか、理性を介して事細かに書きたてればさまざまな屁理屈も立ち現れてくる可能性は十分にあるのですが、そんな取り繕いなどどうでもいい、と感情が強く主張し、女々しくもある理性を厚く覆っている状態。ではその、カッコ悪いかどうかの基準というのは何なのか、自分なりの倫理、自分なりの価値観、である事には間違いないのだけれど、それを言う事にすら感情が抵抗する。抵抗、抵抗、抵抗・・・・・・
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2018年04月05日 11:28
嗜癖としての依存者がターゲットに対して依存を向ける時、あの手この手を使う、それは計算とか理論とかそういう知に基づいた仕方でではなく、ただの野生の感覚にも通じる無意識的自己防衛という一見理解不能な浅はかさにおいて。まずはかわいそうな自分や性的自分を提出する、しばらくの間はそれは機能しますね、相手の同情心や性欲を煽る訳ですから、それを刺し向けられたターゲットは多くの場合、性欲の効果として同情が愛情に移行する、愛情というよりは性愛、性に移行する、そして愛したように感じる事が出来た相手を支え包み見込み引き上げようとする・・・・・・・これはまずもって徒労に終わる訳ですけれど、そもそも心地がいいから依存す
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2018年04月04日 17:49
大昔は人間の数が少なかった、だから人間の数を増やさなくてはいけなかった、これは何でしょう、空気として多くの人が共有している価値観、その時代の自明としてという事なのかもしれませんけれど。人間の数を増やさなくてはいけない社会で大切なのは、生殖・・・・・・性愛ですね。人間の数がこれは足りているという事でいいのか、ある程度充足したように感じる事が出来る今の社会では、生殖は最も大切なものではなくなる、のか・・・・・・・・だから性愛が最も大切なものではなくなる、これは性欲と言い換えてもいいですけれど、性欲がもっとも大切ではなくなる。性欲を除外した中での人間同士の交流や情緒的循環というのが、愛でしょうか。性
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2018年04月03日 10:25
もしかしたら、健康管理というのは大切なのかもしれない、大切なのかもというよりは多分、大切、いや、きっと大切・・・・・・のような気がしてきました。これは自分の為とかそんな事以上に、関わっている人達の為に大切。社会的立場を得るという事は社会的な責任が発生するという事、自分が様々なシステムの一要素として機能する、自分が抜けたらそのシステムは作動しなくなる、となるとやはり、社会的な立場を得た時点で、システムの構成要素となった時点で、それはそのシステムを必要としてくれている人がいるという事なのだから、そのシステムが機能し続ける事が出来るように、自分がいなくならないように、そのシステムの要素であり続ける努
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2018年04月01日 11:14
書き手は、その文章をどういった類の人に読んでほしいかを想定してパブリックスペースにその書かれたものを提出するのか、もしそうなのだとしたらその態度は傲慢に接近しはしないか。想定している人物像以外に読まれる事は誤配という事になってしまう、そもそもパブリックスペースに提出された時点で誤配も何もない訳でしょうし。誤配を避けたければ自らが鍵のかかった空間を作り出し、その空間にエクリチュールを提出すればいい。なんか違うな・・・・・・・・思いつきで勢いで書き始めると文章があらぬ方向へ突き進んでしまいます、こういう事ではなくて、誤配、そう、誤配・・・・・・・・今の時代は誤配はあり得ない、仮想空間が発達して誤配
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2018年03月30日 10:36
想像、空想、ファンタジー、なんちゃって妄想、近視眼的思考、妄想。良い作用をもたらす妄想もあるのでしょうが、そうではない妄想も沢山ある、そして近視眼的思考が妄想に限りなく接近してしまう場合も無いとは言い切れない。他者から強制的に与えられたコンテクストを自らが作りだしたものであると思い込むこともある、自らが作りだしたコンテクストを他者から強制的に押し付けられ、それに従わされていると認識する事もある。密閉された自分一人だけの思考の中で、ある言語が・・・・・ある一つの考えが生産される、その生産された考え、言語がもととなって新たな別の言語が、考えが生産される。密閉された自分一人の思考の中で生産された言語
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2018年03月28日 10:50
初めてカウンセリングに来て頂いた男性のお客さんから、クライエントの男女比について聞かれ、それについて正直に答えると、多くの場合「えっ、そうなんすか」となる・・・・・・・うちの場合は平均すると約8割が男性客なので。男性にしてみるとカウンセリングは女性が受けるものとかいうイメージもあるのかもしれないですね。あと精神的な不具合が発生した時に受けるものというイメージもあるようです「患者さん」などという言葉で言い表される方もいらっしゃいますので、僕はどのような方でも決して患者さんなどとは思っておりません、患者さんなどと万が一認識した瞬間に縦の関係になってしまう、まして医者でもなんでもない訳で、力関係が構
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2018年03月28日 10:13
人というのはいったいどこまで強くなれてしまうのだろうと、そう、どこまでも弱くなる事が出来る訳だからその反対に、どこまでも強くなる事も出来るのだ、と言い放ってしまえばそれまでなのですが、しかし、もし仮にそうだとても・・・・・・・。分厚い壁を打ち破る、高い壁を乗り越える、想定外の困難から目を逸らさずに解決に向かおうとする態度、自分が動くしかない、それは絶望を振り払って、ヴィジョンを極限まで鮮明にして正攻法で一切の迷いなく。大きな困難に立ち向かう時というのは、正々堂々とした態度だけが、正攻法だけが最終的には効果的に機能するように思います。乗り越えるしかなくて、それには自分が動くしかなくて、ちょっとで
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2018年03月25日 19:37
子供の頃にという事でいいのか、もしかしたらそれは大人になる以前にと言った方がいいのかもしれませんが、飽きることなく何度でもなされ続けた去勢、最終的には諦めと共に自分が完全な欠如体である事を徐々に、何度も挫折を繰り返しながら思い知らされる中で受け入れるしかなかった、その効果として無意識の中心で象徴として圧倒的な存在感を示し続けているファルス。理論を無視してイメージ的に言った場合、言葉を話す存在となる時に受け入れるしかなかったファルスに多くの挫折という経験が書き込まれ最終的に去勢が完成されると言ったような、完全に僕の個人的なイメージですが。自分を振り返ってみた時、否認、症状、反動形成、アクティング
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2018年03月23日 11:49
共感や承認という作法が定着しつつある行儀の良い世の中で、ああ、でも、それは表としての世の中なのか、その行儀の良い表を支えているのは仮想空間、ネット上なのかもしれないし、でもそろそろどちらが表でどちらが裏なのか、ちょっと分からないような怪しい状況でもあって、侵入している時間、自分が表に侵入している時間が長いのかネットに侵入している時間が長いのか、そもそもネット上にこそ真実が存在するとかいう事態もいくらでもある訳だし、だから表も裏もなく全ては平坦さの中でというかうねりの中でというかリゾーム的に存在している、もしくは何も存在していない・・・・・・・すいません話がいきなり逸れました、ただ、共感や承認が
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