神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


記事のアーカイブ

2018年03月18日 18:03

アイコンの向こう側でうごめくもの

ある意味コンピュータは分かりやすくていいのかもしれません。それぞれのキャラクターのようにデザインされ一目見てそれと分かるアイコンをダブルクリックすれば、その向こう側にはアイコンに即した分かりやすい膨大なデータが用意されている。人間にも、コミュニケーションを円滑に行う上でのキャラクターというかキャラが用意されている、アイコンのような分かりやすい平坦さとしてのキャラ。ただこのアイコンは不用意にダブルクリックする訳にはゆかない、ダブルクリックの先に用意されているのは、アイコンのままのキャラを形成しているデータではない事が当たり前でもある。時には自然発生的に自分に割り振られたキャラとは全く別物の、複雑

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2018年03月17日 10:58

解体と構築

自分の日常を送る中で常に、無理なく自然と何かに気付き、気付いたものを自分に取り入れる事が有効であると判断した時には躊躇なく、その新たな価値を自身に取り込む。躊躇なく、今までの古い自分を解体して新たな自分を構築し直す。時代は移り変わるし、自分が身を置く環境も刻一刻と移り変わる、にもかかわらず、自分だけは頑として変わらずに居続ける、それは自分を持っているという事なのか、どうか・・・・・。自分を持っている、それはどういう自分、どんなに状況が変化しても自分の考え方は変わらないという頑なな自分である場合もある。逆に、常に新たな事に気付く中で柔軟にそれを取り込んで変化し続ける自分という在り方が自分であると

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2018年03月16日 10:03

神秘的な心 現実的な無意識

人間を語る上で、心なのか無意識なのか・・・・・・・臨機応変でいいのかもしれませんが。朝8時に目覚まし時計をセットし、就寝前に携帯の電源を切り眠りにつく。7時20分に何故かバチッと目を覚まし、その瞬間に無意識的に携帯の電源を入れ新着メールを確認する・・・・・・・新着メール問い合わせ・・・・・・ガラケーならではのじらされる待ち時間・・・・・・1件中1件受信・・・・・・メールを開く。携帯の電源を入れるまでは無意識、何も知らないという中で、何かに急かされる焦燥の中で電源を入れた訳ですが、新着メールを問い合わせている時点では既に確信している、1件の受信があって、そのメールの送り主が誰なのか、そしてどうい

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2018年03月15日 10:05

終焉ののちに唯一残るもの

おひとりさま、永代供養墓、墓友、グループホーム、シェアハウス・・・・・・・等々、これらは家族システムの崩壊を予感、させはしないのでしょうけれど、なにか兆候のようなものは感覚する事が出来なくもないようにも思えてしまう、まあ今のところはそんな事ないのでしょうけれど、万が一の未来、その未来において家族システムが終焉していたとしたら、医学科学の進歩を思えばSF的想像はいくらでもできますし、未来の社会は何を管理するのか、科学は人間の何を管理するのか。未来、家族というシステムが存在していない環境に生まれる、社会に生まれる、今とは異なる形の自明が捏造された社会、人々は今も昔も未来も、すり込まれ続ける、だから

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2018年03月13日 10:05

萌えから萎えへ なぜか上だけオッサンガール

あれは「なぜか上だけオッサンガール」というそうですが・・・・・・赤城乳業のソフというアイスクリームのCM。魅惑の女性身体にシミュラークル的理想的オッサンの像としての頭部、CMを目にする時、オッサンの顔からズームしてゆけば相当笑えるのですが、魅惑の身体からズームしてしまうと、これはもうシャレにならない、非常に戸惑う、どうしたらいいのか分からなくなる、倒錯の領域に片足をツッコミそうになる自分を罪悪感と共に慌てて引き戻す。後悔と高揚の狭間で揺れ動く、自分を恥じたくなる、穴があったら入りたい、懺悔したくなる、そんな自分に腹も立ってきて全てを無かった事にしたくなる。オッサンの顔を見た瞬間に、今いだいた感

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2018年03月11日 12:28

問題解決なのか、癒しなのか。

今の時代の日本で意味するところの「癒し」という事と「問題解決」という事は、文脈が違いますね、どちらも疲れ果てている事実には変わりはないのかもしれませんが。そういえば少しの間連絡が取れなかったヤツから電話がきていろいろ話をする中で「なんだよ、ヘコんでたのか?...

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2018年03月09日 10:55

人生をやり過ごす

どうせ今生きているのだったらやっぱりそこは、生きているという実感を得ながら生きた方がいいのかもしれない。それは単に、食べて、呼吸を繰り返して、という事ではなく、自分を強く主張しないまでも人から自分という人間を認識してもらい、社会的役割を担い、人と交流するという意味での生きている実感。その社会的な存在としての自分の在り方に満足がいっているというのが理想なのだけれど、その満足がゆく自分というのは自分で作り上げるしかない。作り上げるのにルールはない、流れに飛び込んで生成に身を任せても、戦略を練っても、人の力を借りても、コネクションを利用しても、なんでもいい。生きている実感を得ない人生というのは、やり

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2018年03月09日 10:46

流れの中で出会う

「やりたい事が見つかった」 「やりたいことが見つからない」やりたいことというのは、定点を設けてというか、自分を動かさずに定点として周りを見渡した時に見つかるものでもないように思います。行動しない中でその、やりたい事というものを見つけようとしてもそれはなかなか難しくもある、机上で悶々と頭で考えてやりたい事を見つけようとしてもちょっと難しい。動きの中で、環境に自分を投げ込んで様々な経験をする事によってやっと、見出すことが出来るようにも思います、すくなくとも僕は多分そうでしかなかった。やりたい事が見つかって、それをやってみる、やりたいことなのだからそれなりに頑張る、頑張った事によって軌道に乗る、順調

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2018年03月08日 11:02

時間の流れの中で

何かに没入している時には、時間が経つのが早い、これは夢中になっているとか集中しているとか、それは時間の流れの中に自分が存在しているから。時間の流れの中からは一般的に、時間の流れそのものを俯瞰的視点で認識する事は不可能、川の流れの中で泳いでいる時に、川の流れを見る事はできませんしね。時間の流れに没入して、その後一息つこうと流れから出た時には、なぜか充実感を感じられる。何かについて一生懸命行為して、一段落して休憩している時、心地よい倦怠感と共に充実感を味わう事が出来る。

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2018年03月05日 17:33

食べる事をどう扱うか

生き続ける為には栄養を補給し続けなくてはいけないのだろうから、食というのは多分、大切な事、そして大切な事だからこそキチンと食べる人もいるし、そうではなく逆の人もいる。どちらも生きるという事を大切に考えているのには違いない。 一つの・・・・・あくまでも、ほんの一つの見方として当て嵌まる人もいらっしゃる、生存と実存、生存にとらわれている人はキチンと食べる、それが楽しみでもある、実存にとらわれている人の中にはあまり食べない人もいる、その実存にとらわれている人というのは何故あまり食べないのか、それは食以外の要素に目が向いている自分という在り方を表現しているからなのかもしれません、全ての事柄か

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