記事のアーカイブ
2017年02月19日 09:42
PCの普及以降、自分で字を書くという事がほとんど、というか全くなくなった。キーボード打って変換するだけ、せいぜい正しい漢字を数種類の候補の中から選択するだけでいい。漢字の読みは昔と変わらずにできますけど、中学生レベルの漢字だとしても、いざ書こうとすると、書けない事がよくあって、戸惑う・・・・・なんとなくのニュアンスは頭にうっすらと浮かぶのだけれど、まず書けない。という現象は、どうしたものでしょうか。敢えて漢字を忘れないように書き取りのドリルを週に一回はやりましょう、なんて事はやりたくもないし、そんな時間があるなら他の興味のある事に時間を費やしたいし・・・・・・などという事を思ってしまう時点で、
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2017年02月16日 09:00
自分の、生きてきたであろう痕跡に想いを巡らす時、自分の歴史のどの部分に確実さを感じるか、手応えを実感するか。 学生時代の、特に一時期、なんの責任も感じていない中で、これは責任を負わないのではなく責任を感じていない、だから責任を放棄していたという事なのかもしれませんが、ただゆらゆらとクラゲのように漂っていただけなのかもしれない時期。...
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2017年02月14日 09:10
理性が僕らの行動や想いを規定しているのだとして、その理性の中身というのは何でできているのか。目に見えない、あると思えばある、そしてないと思えばない、世間体のようなものとか、先輩社会人、年長者、自分たちより以前から社会に参入していた者が後から社会に参入してきた若者にせっかく自分が築き上げた立場を脅かされないようにする為に作り上げた常識という名の防御壁・・・・・・まあ、半分は冗談で書いていますが。理性の中身の多くの部分が世間体や常識であった場合、考えてみれば、それはやはり窮屈にも感じるのかもしれませんね、なんといっても、自分の想いを行動に移そうと考えた時、それを監視し吟味し判断するのが、自分自身で
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2017年02月13日 09:10
自分が完璧ではないのと同じように、他人も完璧ではない。自分の不完全さを否認し、それでも常にうっすらとしたやり場のない怒りと共にイラついていると、他人の不完全さを目にした瞬間、非難したくなるのかもしれないですね。そしてそれは、実は自分自身に対する非難や怒りであったりもする。これは様々な関係性において、そこかしこで見受けられる現象ですよね。ということは、自分の不完全さを受け入れてさえいれば、他人にも腹は立たないのでしょうか。一つ問題なのは、自分の不完全さを受け入れた上で、理想を目指して完璧であろうと努力している人がいたとして、その人が他人の不完全さを目撃した時、その他人が自分と同じように努力してい
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2017年02月13日 09:03
今の自分に対して、なんらかの改善点や多少の不満はあるにしても、とりあえずは、それなりに納得の範囲で日々を送っているのだとしたなら。自分を今の自分でいさせてくれるもの、それは仕事なのかもしれないし、装飾品や所有物なのかもしれないし、一緒に過ごしている人やペットなのかもしれないし。あちらこちらを気にかけ続けながら生きてきている中で、いつの間にか自分に付帯してしまった多くのものを削ぎ落としていった時、本当に大切なものと言うのは、意外なほどに少ない。この人の為に生きる自分というものに意味や生きがいを見出す時の、この人。ペットと一緒にいる時が一番気持ちが安らいで自然でいられるという時の、ペット。高価な装
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2017年02月11日 22:01
問題を抱えている時、みんながみんな、強い意志を持って自分の問題に向き合い、改善してゆこうと思える訳ではない。状況に抗う訳ですから、それは勿論、強い人という事なのですが。もう一つ、問題を抱えながらも、その状況に耐えつつ、なんとか自分を保とうとする人もいます、感情が溢れそうになる度に、不安や緊張を吐き出し、気持ちを落ち着け、痛みを和らげながら。カウンセリングとは、一般的に、強い意志と共に向き合って・・・・・・、という方のイメージが先行しがちですが、それだけではなく、状況に適応し続ける為になされる場合も、実際には多々ありますし、それもとても大切な事なのだと思います・・・・・そうしているうちに「改善し
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2017年02月11日 09:10
自分とは相容れないものとか、水と油というようなニュアンスでの他者。なるべくなら、極力、その他者を攻撃する事なしに気持ちよく生きてゆきたいものです。なぜ攻撃してしまうのか・・・・・・一つには、自分と相容れない考えを持つものに対して、それを攻撃する事で自分の正当性を確認する。でも、攻撃を加えるという事は、自分も攻撃の脅威に晒されるという事なのでしょうし。多様性を認めるとか、分かり合いようのないものだとしても尊重するとか・・・・・理想かもしれないですけど、と言うか理想でしかないのだとは思いますが、そうしない事には、いつ安心したらいいのやら分からないですし。
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2017年02月09日 09:00
外傷的な経験・・・・・トラウマと言われますね、何か非常に耐えがたい嫌な経験をしてしまったり、深く傷つけられたり。命に関わるような経験は別ですが・・・・・・・その、過去に味わったトラウマを完全に否定するように、そんなトラウマを振り払うように力強く頑張る、外傷体験を打ち消すような強さで。そういう人というのは、非常に魅力的に見えます。もう一つ、過去に味わったトラウマに一人でじっと耐えながら、これは不安や緊張に苛まれながらも、誰にも言わずにじっと耐えながら・・・・・・こういう人を目にした時、優しく手を差し伸べたくなりますね、だから、これはきっと、守ってあげたくなると言う事なのだと思います。本当に辛い、
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2017年02月05日 20:22
力関係がある中で、相手に対して怒る、それは職場とか取引先とかコミュニティ内とか、家庭というドメスティックな場所での親子や夫婦も。よく、そこに愛情があればとか、怒るのではなく叱るべき、などとも言われますが、体よく言葉をすり替えただけで、傍から冷静に観察した時、多くの場合叱り飛ばしている、怒っているのと何ら変わらなかったり、もう、激情が溢れ出した時点でアウト。怒るという行為、これは全く意味が分からないんですよね・・・・・人に対して怒るというのは、これは、そう、僕のイメージとしてという事にしておきますが、腹に据えかねて、だからもう相手との関係を断つため、相手を拒絶・攻撃する為になされる事・・・・・・
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2017年02月05日 09:29
会話中に相手を眼差す動機というのは、相手に対する興味を伝えるためである方がいいのでしょう・・・・・・だから、相手が自分をどう思っているのかを、読み取ろうとする為ではない方がいい。相手は自分への興味から自分を眼差している、それに対して自分は相手が自分の事をどう思っているのか探りたいという想いから、相手の瞳に映った自分の像を眼差している。相手を見ているようで、相手に映った自分を見ている、と、なってしまうと、相手はやはり微妙な違和感を感じてしまうのかもしれません。主張する時や理解を求める時の眼差しと、どう思われているかを読み取ろうとする眼差しというのも、違いはハッキリしているのでしょうし。・・・・・
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