記事のアーカイブ
2016年01月04日 09:25
年齢や経験と共に、許容範囲が広くなってくるのかどうなのか、人それぞれなのでしょう、よくわかりませんが。やっぱり、こだわりはなんとなく減ってきたりもするのかな。許容範囲が広がったという事実の裏返しとして、100%拒絶したいものというのも明確化してくるのか。経験を重ねるにつれ、絶対に受け入れない排除の対象がハッキリしてくると言ったような、まあ、そういうのは誰だってあってもいいと思うんです。もっともっと年齢や経験を重ねれば、なにひとつ拒絶する事はない、という心性が芽生えてきたりもするのでしょうか。達観みたいなもの? 今のところ、それはないはずと思っているのですが。僕らは人間ですからね。そうだ、こんな
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2016年01月03日 20:54
紅白、少し見ましたが、演歌も多く聞く事ができますね。普段あまり耳にしない分、新鮮にも感じます。なんというか、昭和の美学をデフォルメしたような、ノスタルジックなものも感じます。伊東にいたころ、いつもは9時に寝かされてたのかな。土曜日の夜、ドリフの放送が終わって、さあ子供は寝なさいと言われて、でも、大人たちはその後キーハンターを見るんです。なんとなく見ないと損するような、悔しいような気分にもなって、自分も見ると言い張って、14型の白黒テレビの前から頑として動かず。毎週毎週、白目むきながら首がガク~ンとなるところまでは覚えているのですが、記憶はそこで途絶えていて。気が付くと、日曜日ののんびりとした眩
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2016年01月03日 09:32
正月、特に元旦というのは不思議です。玄関の扉を開け一歩外に踏み出したとたんに、なにか空気が凛と静まり返っているように・・・・感じる、すがすがしさが自分の奥の方から湧いてくるように・・・・感じる、開放感と共になにかいい事が起こりそうに・・・・感じる。実際には何が変わった訳でもないんですけどね、ただ、昨日から今日に変わっただけ。でもそこに、2015年から2016年へという、新年を迎えたという想いが加わるから、そう感じさせるのでしょうか。なぜそんなふうに感じたのか理由を探ってみても、ただ自分の見方が変わった、くらいしか理由は見当たらなくて、それは新しい年を迎えたからという気分の問題。「物事に対する、
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2016年01月02日 09:05
演技終了後のキスアンドクライで、フィギアスケート選手とコーチが交わしている英語の会話が、日本語の訳付きで映像が流れていましたが。日本語に訳すと、すごくフレンドリーなニュアンスになるんだなあ、と思いました。とにかく、堂々と言い切るし、年齢差に関係なく主張するし、すごく羨ましかった。スポーツ選手に限らず、一般社会でも日本語での会話と外国語での会話ではやっぱり違ってくるのかな。日本人同士の日本語の会話だと、友人同士でもない限り、なかなかフレンドリーな会話は無理なのかもしれないし、上下関係も意識してしまうのかもしれないし、敬語とか気遣いとか、なんていうか全てを出しづらいというか。日本語はシチュエーショ
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2016年01月01日 09:34
初夢は何日に見る夢の事を言うのか、いろいろな説があるようで、なにか定義がハッキリしないようです。元日の夜、二日の夜、二日から三日にかけて・・・・等々。あれなんじゃないの、自分の都合でいいんじゃないのかね。いい夢見るまで、粘り強く頑張る(何を?)、納得のいかない夢は却下し続ける、とか。で、5日目にやっと納得のいく夢を見たら、めでたく初夢認定。どんな夢がいいのかね~?頼もしい夢・・・人気のない駅のホームで始発の電車を待っている自分、まだ日の出前なのか、ホームには煌々と明かりが灯っていて白く眩しいくらい。ふと、首の後ろに違和感を感じ、そこに手をやってみると、グニュっとした手触りの嫌悪感の象徴が纏わり
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2015年12月31日 21:12
正月三ケ日、奥さんの実家とか、旦那の実家とか、まあ、自分の親のところでも、そこがもし非常に気を遣わなければいけない場所だとちょっとキツイですけどね。そういう、やらなければいけない事とか、避けられない事とかは仕方ないのでしょうけど。そういう時間以外は、少しでも多く自分の好きなように時間を使えるといいですね。正月が明ければ、また考えたり、走りだしたり、しなくてはいけないのでしょうから。とろ~んとした意識の中、脱力を極めて、たれぱんだみたいになったっていいのでしょうし。出前だって、ピザだって、ケンタッキーだって。怠けたって、けらけら笑い続けたって、立ってるものは親でも子供でも旦那でも、なに使ったって
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2015年12月31日 09:41
おせち料理も、家で作ろうとすると大変ですね。クリスマス~大掃除~年賀状~おせち作りこんな流れになるのかな。おせち作る男性ってあまりイメージできないし。男の料理となると、どうしても、やっぱりあれです・・・・。目の前の食材を、首を少しかしげつつ真剣な表情で斜めから見つめ、はるか上空から塩をはらはらとふりかける。完成してお皿に盛ったら、おもむろにベランダに向かい栽培中のハーブをひとつかみ、それを彩りも鮮やかにお皿に沿えて、ハイ出来上がり。こんなような情報がインプットされてしまっておりますのでね、やっぱりイタリアンとかなのかね。おせちは、買ってきちゃったっていいんんじゃないでしょうか。その分贅沢に時間
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2015年12月30日 21:34
知らない方がいい事、ってあるのかなあ?どうなんだろうか、一億人の人がいたとして、その中の千人の人だけが知っている事実があったとして、その千人の人は他のその事を知らない人に対して優位性を保つために敢えて口外しない、秘密にしておく。という事を、九千九百九十九万九千人の人が知ったとしたら、やっぱり不公平だと感じるのかね。自分が損をするという事には耐えられなかったりもするのかな。自分が知らないことを知っている人がいる、という事を知らなければ、それはそれで平和で、問題ないのかな。知っている千人の人っていうのは、自分が得をしたいという動機で行動して、残りの知らない人っていうのは、自分だけが損をしたくないと
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2015年12月29日 21:15
ストレスがないのが人間にとって理想的な環境なのか。ストレスを感じないようにするには、身の回りから一切のストレスを排除すればいいのか。ストレス、心的緊張、精神的緊張状態、精神が緊張する事を排除する。楽しい事をする事も、充実感や高揚感を伴ったりもするので、そこでは精神の緊張も当然伴いますね。大好きな人と一緒にいる事でも精神は緊張するし、パチンコが好きな人がパチンコして楽しい時だって緊張するし。緊張し、高揚感や充実感を味わった後に虚脱感がやってくるという事も普通にあります。虚脱感、ちょっと燃え尽きた感じもあって寂しさやもの悲しさを感じたりもしますね。楽しい緊張状態(ストレス)も、あまりに度が過ぎて続
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2015年12月28日 09:23
僕(僕ら)は10代の頃、大人なんか大した事ないと思っていました。でもこれは、根拠があってそう思っていた訳じゃないんです。ただ反抗して、斜に構えて、そう思い込んでいたかっただけなのかもしれません。「あの子カワイイ」とか「○○高校のやつがよ」とか「部活休みて~」とか「バイク欲しい」とか「腹減った」とか、そんな事しか考えてなかったし、大人の社会からは遮断されてた、ニュースなんか全然見ないし。いい意味で純粋培養で、だからそれ故に、逆に社会人との接点もあまりなくて、いずれ自分も参加するであろう社会を大した事ないなどと思えたのかもしれない。いずれ自分も参入するのであろう社会に対する不安な気持ちを打ち消すた
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