記事のアーカイブ
2016年01月23日 09:19
僕らは、というか僕は「直感で・・・・、う~ん、こっち」とか「勘で選んだ」とか、人から聞かされた時に、こういうのを100%容認していいものなのか、どうなのか、非常に悩ましく思う事があります。いつも、直感で選択して、それがいい結果につながっている場合なら、それも選択方法の一つとして、その人にとってはいいことなのでしょう。勘のいい人ということですね。しかし逆に、勘で選択した多くの場合、あまり芳しくない結果に終わってしまうという方もいらっしゃいます。こういった類は、やはり思考の形成段階で徐々に作り上げられてきた、考え方の癖に由来しているのかもしれませんね。基本的には外傷になったようなものを意図せずに反
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2016年01月22日 21:24
雑誌を斜め読みしている時に、ふと思いました。成功しているチームを率いている人物のリーダーシップの取り方の一つなのかなと、感慨深かったんですが。なんていうんでしょうか、メタ二元論?ってなんだそれ、ちょっと意味わからないですね、シニシズムの視点から二元論を演じる?演じている二元論を常に俯瞰しておく?なのかな。なんか違うな、何言ってるんだか・・・・。自分を客観視する能力に長けている、本来温厚で面倒見のいい人物が、チームの士気を高め成功に導く為に、善悪・白黒・敵味方、敢えて二元論を演じつつも、メンバーには常に精一杯の愛情と気配りと厳しさを持って接する、勿論自分自身には常にストイックに、厳しく。外部から
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2016年01月22日 21:20
多くの方に当てはまる話ではありませんが。人から、その人の失敗談を面白おかしく話して聞かせてもらうのは、とても効果的だと思います。すごくいいと思います。「失敗から学ぼう」などという意味ではなく、「誰だって失敗する事がある」という事を実感する為に、という意味合いなのですが。もうすでに、その人の中で処理できている笑い話のような失敗談を、たくさん聞かせてもらっているうちに、「みんな完璧じゃないんだ、コケながら生きてるんだ」という事が少しづつ実感できてくれば。徐々に自分の中から、なにかが湧き上がってくるようにも感じるんじゃないでしょうか。失敗談から徐々に自慢話に移行していってしまう傾向のある人の話とかは
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2016年01月21日 21:07
ヒリヒリ、そうフラジャイルを観ていると、あれはもう、ヒリヒリでしかないようにも思えてきます。主人公の「僕の言葉は絶対だ」とか「僕は10割だ」とか、通常絶対に口にできない言葉ですね。強力なリーダーシップが求められる一時期に関してはどうなのか、それは分かりませんが・・・・。だからこそ、羨望と共に見入ってしまったりもして、そして、その羨望している自分を嫌悪し、今度は敢えて否認してみたりと、まっ、結果は同じなんですけど。10割、完璧と公言するという事は実存をかけているという事なのでしょうか。一点のミスで、社会から排除される事をいとわないといったような。逆にもし、それを自らが望んでいるのであれば、それは
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2016年01月21日 09:23
覚悟というのは、しんどい。例えて言うなら、ウルトラマンのハヤタ隊員が怪獣が出現しちゃって「ちっ、まじかよ~、また今週も来ちゃったの?あ~もうっ、ハイッ変身」みたいな覚悟とか。仮面ライダーの本郷猛が「出たなショッカー」って言いながらキレッキレで開き直って変身を試みる覚悟とか。いや、でも、変身を試みる瞬間に覚悟や葛藤が存在するのか?二人とも、自分から進んで正義の味方になった訳ではなくて、ウルトラマンに乗り移られたり、ショッカーに改造されたりしたんじゃなかったっけ?そうだ、ここには外傷が存在している・・・、というのは置いといて。だから、自分の意思で率先して「はいっはいっ、じぶん正義の味方やりたいっす
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2016年01月20日 20:54
昨日の「自由とは」みたいな、時々書いてしまう、だらだらとした、何が言いたいんだかよく分からない文章。ああいうのは、何か言いたいことがあって書いている訳ではないんです。だから、題材はその時に思ったワンフレーズ、なんでもいいんです。思考というのは、言葉によってなされますよね。だから考えるという事は、言葉を紡ぎ出すという事なのかな。普段から思考しておかないと、使っていない言葉というのは、意識の底の方に沈殿してしまうようにも感じていまして。使わない言葉って忘れちゃいますよね、あと、直近で使っていない理論とかも(理論も言葉でできれいる訳ですから、使わなければ沈殿してしまいます)。そうなると、いざ何かを考
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2016年01月20日 09:45
先日、なんとなくマックに行ってしまいました。通り道だったし、あんまり時間もなかったので。さすがに、チキチーとかエグチとか、恥ずかしくて言えませんでしたが。お昼時でしたが、割と空いてたのかな。すっごい久しぶりに食べてみて「あらっ、なんか美味いんだけど・・・」と思ってしまった。食べた瞬間に、なぜかドーパミン大量放出で脳が大喜びしているイメージ。ジャンク、なのかな、そうだ、あれに近い、食べ放題のお店で、一つの皿に、パスタとチャーハンとポテトサラダと生野菜にベーコンチップとドレッシングかけたやつを盛って、ほとんど食べきった最後に、その皿に僅かづつ残った各料理を、一気にまとめて口の中にかき込んだ時の、甘
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2016年01月19日 21:07
自由というのは、上手く体現できないものというか、上手く言葉で言い表せないものというか、なにかそんなようなものであるように感じてしまいます。どういう時に自由を感じるかと言うと、役割を解かれた瞬間には、その一瞬だけ自由になったように、いや、これはただ単に、開放感なのか。シバリのある状況から解き放たれて「さあ、今からは自由にしていい」と言われたら、どうするんだろうか?やりたい事をやる?でも、やりたい事の中にもルールはあって、その規定に従わなくてはやれないのかもしれなくて、自由には行動できないかも。自分勝手にというのは、やっぱり無理なのでしょう。そうですね、だから、自由と自分勝手と開放感というのは違う
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2016年01月19日 09:42
「きょとん」とできるというのも才能なのかな。ストレスを感じないようにする、防衛の一つの方法として。何か言われて「ん・・・・?」また言われて「は?意味わかんない」そしてしつこく言われて「はははっ、シバくよ」「ん・・・?」で済むのが一番いいんでしょうね。あとは、気にせずにスルーしちゃえば。ただね~、この気にせずにって言うのが、なかなか難しい。ある程度は自分に自信があって、分かち合える居場所があって、常に状況を客観視できないと。あれは、どう? サンドウィッチマンの「ちょっと何言ってんだかよく分からない」って言いながら笑っちゃうやつ。違う領域にいる相手なのかもしれないし、というこ事は言葉は共有できない
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2016年01月18日 21:16
・・・・・真面目で適応のいい人ほど、強迫的な傾向がある、と言うのも頷けるんじゃないのかなと。人間から、一切の強迫性を排除する事って、不可能だと思うのですが、もしそれが可能だったとして、想像してみると・・・・。 食べたい時に食べ、寝たい時に寝て、面倒と感じる事は一切排除して(たとえそれが衛生に関わる事だとしても)、気の向くまま、感情のおもむくまま。こうあるべきと言う概念がないのですから、必然的に思考や意識もぼやけてきて、自分の意識の輪郭もあやふやにも感じるようになってくるのかな。時々、完全に脱力してリラックスするには、休日にでも、あえてこれをやってみるっていうのも、いいのかもしれません
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