記事のアーカイブ
2017年12月17日 10:14
伸び伸びと働ける環境で個性を生かす、適材適所、人材登用配置において会社でそんなものがどれだけ実践されているのか、そうなっていないからパワハラとかあるのかもしれないですけどね、まあ、それは今は措いといて。しかし、会社の目的、企業の目的、やはり利益を生み続ける事、法人とか言われるくらいですから、やはり利益を生まなければ倒産、恒常性を保つ事が出来ずに、法人として死ぬしかない。利益を生み出す事を目的とした、比喩的に表現すれば、大きな機械としての会社、規律の元で正確に、利益を生みだし続ける為に動き続けるしかない巨大な機械、システムと言ってもいいのでしょううけれど、なんとなく僕のイメージでは企業というのは
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2017年12月16日 21:29
こういう自分、という明確なヴィジョンがある場合、当然そのヴィジョンに自分は向かってゆくしかない、ただその過程というのは多分、戦いなのかもしれません、目標とか目指すべき将来の像とか理想などという優しい言葉では言い表せないレベルの、たった一人での戦い・・・・・・・・人と違う道を行くという事は戦いでもあるのでしょうから。何と戦うのか、それは全てと、自分を含めたすべてとの戦い。だから怖くもあるし、不安にも常に苛まれるし、自分のしている事が正しいのかどうかすら分からなくもなる、気を抜いた瞬間に心細さにも襲われる。不安や恐怖や迷いと共に在るのが嫌なのであれば、その時はヴィジョンなんか投げだしてしまえばいい
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2017年12月14日 09:13
「欲望は他者の欲望」「何の入力もない中で、欲望は自分の中から自然と芽生えるものではない、他者からやってきた欲望を自身の無意識が自分独自の欲望に作り変える」これが事実だとしたら、だからこそ他者と関わる事は重要なのでしょうが、そうであればあるほど自分にとってどのような他者と関わるのがいいのか、という事。欲望は他者からやってくる、しかしその事と自分という欲望する機械を他者に触らせる事は全く違う、自分自身の欲望する機械、もしくは自分自身としての欲望する機械は決して他者に触らせてはいけないように思います。他者が自分の中にその他者に有利な欲望を注入する、自分という欲望する機械を勝手に組み替える、部品を刷新
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2017年12月10日 17:52
自由? 自由というのは何だ? 何をもって自由と言うのか? これは漠然とした概念でしかないようにも思え、考えれば考えるほど。なににも縛られないのが自由なのかというと、学校には校則があり、企業には社則があり、社会には法律があり、それぞれに自分が参入する時にはそれを守らなくてはいけない、従わなくては参入は許可されない、だから縛られなくてはその場に居続ける事は出来ない、当たり前の事ですけれど。規律や法のない場所、それは無法地帯という事なのか、その場所はちょっと危なっかしくて安心して居続ける事が出来ないように思います。規律や法に守られているからこそ、そこで自由を謳歌する事が出来る、じゃあ縛りの存在する中
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2017年12月09日 11:13
「人生は妄想とともに始まる」という言い方は、いささか言い過ぎの感は否めないとは思うのですが、でもやはり、いつの時代でも変わる事のない事実というのもあってもいいように思え、いや逆かな、ヴァーチャルとリアルが絶妙に入り混じった今の社会環境の方が、なんと言うか積極的にその言葉に嵌まり込みつつあるようにも思え。いづれにしても、自分の中に入力された言葉によって現実を分節して自分なりに認識する事しか僕らはできないのですから、それは自分が想像した事として・・・・・想像的に認識するという事でしかない、だからこそ同じ現象を目にしても一人一人の人間の感じ方は違う。僕らは現実と言われるものを自分の言葉で自分なりに、
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2017年12月08日 09:41
様々な、多種多様な、提案で溢れている消費社会、その中で僕らはバーチャルを手にする、社会は魅力的なバーチャルで溢れ返っているという、奥行きの無い表面的な社会、それはファンタスティックに色とりどりに美しく装飾された社会。そんな社会の中でどのように豊かに生きてゆけばいいのか、というのは割と簡単でもあるように思います。バーチャルに嵌まり込んでいる自分というものを、本気で演じさえすればいい。本気で演じ始めさえすれば、その瞬間にバーチャルはリアルに昇格される。バーチャルに生命が宿り生き生きとリアルを、本気で演じてくれる、僕らの要請に忠実に従って。・・・・・・僕らは自分の環境の中でキャラを演じる、その演じて
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2017年12月07日 09:42
「自分の考えを持つ」という事、それはその考えに従って行動する為であった方がいいのだと思います。行動しない理由にしたり、環境を陰でひっそりとグチる態度に変換したり、ストレスのはけ口にしたり、という事ではない方がいい。自分の考えに基づいて行動する時、大切なのは自分に自信を持つ事、などではなく、言ってみればそんなものは一切関係ない。それは自分の考えを無理やり創造し、それに基づいて無理して頑張って行動しようとする時にのみ必要なもの「自信を持ちましょう」という提言や激励が必要になってくるだけの事、トレーニング的な。本当に自分の考えに基づいて動いている人というのは、傍から見れば自信に溢れているように見える
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2017年12月05日 09:21
子供の時分に歌でありました、うっすらと記憶しています「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」とか言われていた、のかもしれない昭和の時代、当時歌われていた歌詞、もしかしたらそれは巧妙な捏造だったのかもしれませんが、自分に当て嵌めて思い返せば、心当たりがないわけでもない、でも、多くの事がシミュラークルでしかないのですから、僕らはその提案や虚像をトレースしていただけなのかもしれません、そして時間の経過と共に、時代の要請に従ってなのか、同時発生的になのか、操作、提案、徐々に形を変え続ける規定、もしくは捏造されるstyle、は変わってくる、周知されてみんながそれをコピーし続ける、コピーを繰り返すたびに様
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2017年12月04日 09:52
マジョリティがもし万が一、独自の価値観を持ってしまったり、声をあげてしまう、という事態に陥ってしまったとしたら、その時に一番困るのはもしかしたら、マイノリティなのかもしれない、マイノリティである事で自己を保つという方法が環境の中で自然と形成されてきたタイプの、マイノリティの方々なのかもしれない、環境に対する順応対応の仕方は人それぞれの工夫次第ですから。マイノリティである事が自分を保つ事につながる、プライドにつながるという事は十分にあり得ることですし、実際にいらっしゃいますしね。マジョリティが独自の価値観を持つ、声を上げる、ただこれ、全ての人がそう出来る訳ではないのでしょうから(それがブームにな
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2017年12月03日 10:12
辻堂にいる時は全然そんなことはないのですが・・・・・住宅街ですから全然平気、ただ、座間にいる時はそうもいかない・・・・・座間というのは場所によっては単なる山間部のようでもあり、そうすると、ふと窓の外に目を向けた時、ちょっと感じの悪い光景が主張してくる、美しい言語によって分節されて当然だという体で主張してくる。まあそう、紅葉です、入谷というのは山あり谷あり、原生林を切り開きそこに人が通れる道を造っただけの割と大きな公園もある、だからそこかしこが雑木林、坂、森、森林の中にいるような錯覚に陥る。去年まではこんな風には一切感じなかったのですが、どうも今年は少し、というか全く、真逆に感覚してしまう紅葉。
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