記事のアーカイブ
2017年12月02日 11:24
全ての依存が受け入れられない訳ではない。攻撃的な依存というか、浅はかさを露呈するしかない屁理屈によって相手を追い込もうとしたり、強固な自分独自のフィルターを通じて全ての言葉を被害妄想的に変換しそれを新たな攻撃材料としたり、形勢が危うくなると弱者のフリをして開き直ったり、強固な鎧で自分を守りつつ要求を突き付け続ける、あとは猜疑心の塊のようなとかも、そう、そういう人にとっては全ては人のせいという事でもある。ああそう、しつこい、とにかく相手の都合はお構いなしで非常にしつこいんじゃないでしょうか、相手の気分を悪くさせる達人、これは誰も受け入れないし、そういう圧倒的他者とは一切関わりたくないと誰もが思う
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2017年11月30日 09:25
人生は一回しかないというのが事実だと仮定して、などと言うまでもなく紛れもない事実なのでしょうけれど。僕らは身体的には、生まれた瞬間から時間の流れの中に在り続けるしかない、その時間というものは、規則正しく経過し続ける事をやめない。成長する中のどこかのタイミングにおいて、身体組織は充実のピークを迎える、そしてそれ以降、身体組織は衰え始める、ピークまでは生に向かっていて、ピーク以降は死に向かっている、のかどうかは僕には分かりませんし、そう、そんな事を書こうと思っていた訳ではないのかもしれなくて。人生が一回しかないのだとしたら、どのように生きるのが理想的なのかという事を考えてみても、理想というのは人そ
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2017年11月27日 09:29
ヘッドホンを装着し「僕は存在していなかった」のMVを10回くらい連続で、積極的に没入するという仕方で視聴した結果、現実とは何なのかと、かなり混乱。ああ、何故こんな事をするのかというと、カウンセリングに必要だから、色々な人達と様々な話をする中でサブカルは外せないところ、知らなければ話せないし、ただ、その時はお客さんから教えてもらえばいい訳ですけれど、あとはそこからあらためて勉強を始める・・・・・・とか言いつつも実はその事より自分自身の興味の方が勝ってもいるのですが・・・・・自分自身がどういう状態になるのかという。と言いますかサブカルチャーに限らず、さまざまにより多くのジャンルに興味を抱く事は誰に
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2017年11月26日 10:05
生まれてくる時、親は選べない、この親の元に生まれてこようと考えて生まれてくる訳ではない、もし選べるのであれば誰だってより優れた幸せな環境に生まれてこようと考えるのだろうし、そういう親の元に生まれ出ようと、倍率や競争率も天文学的な数字になるしかないのでしょうしね。まして、今の親の元に生まれてきたからこそ、これが自分であるという「私」という感覚、自我が芽生えたのかもしれない、だとしたら、だからこそ人は何かを達成して幸せをつかんだように思えた時に感極まって無意識的に「産んでくれてありがとう」とか感謝の言葉を発してしまうのかもしれない。まあまあ、それはそれでどうしようもない、選択の余地が一切ない事であ
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2017年11月24日 10:06
ナナブンノニジュウニのMV「僕は存在していなかった」を見ると涙が溢れてくるのは何故なのか。ただ、他の人に見せてもそれほど情動の変化はないようなので、この感覚は自分独自のものなのかもしれません、それか、世代的なものとか。学校というシチュエーションと相まっているのでしょうが、登場するキャラクターの無垢さや儚さ、人間の持つ純粋な要素だけを丁寧に抽出して培養したかのようなセンシティブな魅力、直線的であるにもかかわらず豊かな情緒、まだ何も書き込まれていないホワイトボードという事なのか、もしくはまだ書き込むことに躊躇しているホワイトウォール、モラトリアムの輝き、穢れる事に対する躊躇抵抗、まだ経験していない
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2017年11月23日 17:43
ああ、ところで、二人の人間が出会い恋に落ち、無意識的に作り上げられるシステムの中で、二人の人間はそのシステムを作動させる為の構成要素となる、構成要素はシステムの目的に忠実に機能する。であれば、そこで大切なのは、そのシステムがどういった目的を持っているのかという事なのでしょう。現実を忘れて・・・・・それは自分を取り巻いている嫌な現実を忘れて秘め事のようなファンタスティックな世界で我を忘れて漂う、という現実逃避的なシステムなのか。それとも、お互いを取り巻く現実を見据えた上で、恋に落ちた事をお互いの成長につなげてゆけるような、補い合い、助け合い、励まし合い、勇気と共に二人で現実的な人生を切り開いてゆ
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2017年11月23日 10:35
二人の人間が出会い恋に落ちる時、システムが作動し始める、いきなり可能な限りの最高速度で瞬発力を伴って。「愛を語るというシステム」愛を語る事を唯一の目的としたシステムを無意識的に作り上げる二者。その、愛を語るシステムを作動させるには、システムを作動させる部品が必要、システムを構成する要素が必要。システムを構成する要素、それが出会って恋に落ちてしまった二人の人間。二人の人間が率先して、そのシステムに入り込み構成要素となり、そのシステムを作動させ続ける、愛を語るというシステムを作動させ続ける。愛を語り続ける二人の人間はシステムの内部という閉じた空間で、内部と外部、外部という自分たちを取り巻く環境と、
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2017年11月23日 10:34
「ずっと変わらない、一緒にいようね」と約束する、その約束というのは感情の高まりの中でなされる訳で、その言葉を発し合った時には本当にお互いがそう思っていた。感情の高まりがそのまま持続するのであれば、と言いますか感情の高まりが持続している間は、その約束は有効である「ずっと変わらない、一緒にいようね」が履行され続ける。ただ、感情というのは高まったままでいる事はできませんね、高まりは落ち着いてくる、時には冷静にもなってくるし冷めてもくる、そこで見るものは何なのか。高まった感情に裏打ちされ発せられた言葉である以上、約束である以上、感情が沈静化された時点でその約束は、反故にされる可能性を多分に含んでいるの
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2017年11月21日 09:50
自律したシステムとしての個人同士のカップリングという事でいいのか、出会いの都度に共同で組み付けられる一式の欲望する機械という事でいいのか、その場限りの、一回ごとの、ただし刹那的ではなく双方にとって有意味に、それもポジテイブに効果的に作用し合う、だからやっぱりカップリングに近いのか、信用し合うというのはなにかこんなようなニュアンスであるかのように思います。自律・・・・・自分で立てた規範に従って、自分の事は自分でやって行く事、だそうです。自律同士が出会い、その場限りの効果的なカップリング的なものを。それぞれの独立した流れの中にある人と人とが出会い、交流する中でリスペクトが生まれる、信用が生まれる、
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2017年11月19日 09:03
恋愛関係でも仕事でも友人関係でも自分がいま成している事でも、どんな事でも、物事というのは自分の納得のゆく所まで推し進め突き詰める事もできる、ただしその場合は失敗の可能性と共にとか、現実を直視するという覚悟も含めて、反対にそうではなく失敗の可能性を少しでも感じた時点で引く事も出来る、俗っぽく言えばトンズラする事だっていくらでもできる、そしてトンズラは別に悪い事ではない。自分が傷つくのを避け続ける為には失敗の可能性が脳裏をよぎった時点で引けばいい、ただし失敗の経験から学ぶという自己の成長を放棄する事と引き換えに、そう、成長し続ける事だけが人間的在り方、とりわけ現代の成熟した社会においての人間的な在
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