神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


記事のアーカイブ

2017年10月27日 20:30

ゆったりと流れる空気の中で

カウンセリングの場の空気というのはなるべくなら、ゆったりと流れた方がいい。人それぞれの性格にもよるのでしょうが、矢継ぎ早に、ほとばしり続けるように発せられる言葉、それはたくさんの想いを抱えているのですから、まずはそれを吐き出す為にそうなるしかないとう場合も。ほとばしる言葉、急かされるその人の精神、そういうものが徐々に収まり始めてから、抱えている何らかの想いについてお互いに話し合えるようになる、それはそうですね、ほとばしり続けるという事は、話している中で重要なワードや疑問が出てきたとしても、それすらも置き去りにしたまま話は一気に進み続けるのですから、そしてそのワードや疑問は彼方へ押し流されてゆく

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2017年10月27日 12:16

男は何の為に女を愛するのか

男同士で話している時「男は何の為に女を愛するのか」という話に。ナンセンスを承知で恥ずかし気もなく、ベタでさむいドン引き間違いなしな事を言い切ってしまえば、性器的欲望のみを刺し向ける為に女を愛する訳では決してない・・・・・・・・・・・性器的欲望の解消の為どころか、真逆の、自制するという、欲望を抑え込むという強い理性的、ロゴス的態度の中において、たぶんこれは、女を守る、安心を与える・・・・・自制のもと女を守り女に安心を得てもらう為に、献身という事でも多少はあるのか。そのように在る事によって男は、女を守る事が出来ている自分、女を安心させる事が出来ている自分、という自分をナルシシズムのもと誇りに感じる

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2017年10月25日 09:43

歩き続ける 走り続ける

単なる生命でしかない領野を自力で切り裂き、その裂け目から外に出てみる、そこに広がっている恐怖は社会であり、その社会を成立させている秩序であり。裂け目で立ちすくみ続ける人生、裂け目から勢いよく飛び出し行き先も決めずに奔放に謳歌する人生、裂け目に佇み冷静に観察する事によって自分の生き先を定め着実に歩む人生。いずれにせよ、裂け目の中に逃げ帰る事はできない、そこはなにもない場所であり自我が芽生える以前に、自分が生命でしかなかった時代にのみ安息する事を許された場所、大人になった今、そんなところに戻ったからといって、かつてがそうであったように母親が優しく抱き守ってくれる訳ではない。・・・・・・・・・究極的

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2017年10月22日 22:12

生きている事 かけがえのない事

僕らの持ち時間には限りがある、という事なのであればそこはやはり出来るなら、少しでも自分が納得のゆく生き方に近づきたい。足るを知るという納得の仕方もあるのでしょう、逆にそうではなく、なんとか自分の望むものを、それは一つでも多くいくらでも欲張りになってという場合もあるでしょうし、もしくは唯一の望みの為にやれる事はなんでも、なりふりかまわず野心の下でという場合も。人がどう思うかとか、世間体がどうのこうのとか、そんな無意味な規定の枠外で、自分の人生をもっともっと豊かで潤いのあるものにする為に、手に入れたいものを目指して自らとして動く、欲しければ掴み取る。納得、折り合い、足るを知る、身の程を知る、諦め、

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2017年10月22日 10:56

操作される感情 湧き上がる感情

ドラマ、映画、実話の回想シーン、流されるさまざま映像に差し込まれる音響、その音響を聞かされた瞬間に感動して涙を流したり、悲しみにまみれて涙を流したり、大笑いの場合はまた手法が違ってテロップや効果音ですね。音響の効果として感動が増幅するという以上に、音響がメッセージとなる「はい、ここ感動するシーンです」と、それか、空気を読むことに慣らされた僕らは、メディアから感動する事を許可されたように感じて、今自分の中にうっすらと湧き上がり始めている観念、これは感動という事で正解なのだ、と自分が間違っていない事を確認し、安心して涙を流す、その安心感は正解に行き当たった安心でもある、だから音響が流された瞬間に安

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2017年10月21日 10:30

棄却され続ける手紙

生きていれば大なり小なり、日々さまざまな選択をしているのかもしれません、とるに足らない事も含めて。選択は多くの場合、大人であれば理性によってなされる、より良い方とか、どちらが正解かとか。理性にとっての正解と、無意識にとっての正解というのは、全く異なる場合も多々ありますね。理性にとっての正解を選択し続けているうちに、それはもしかしたら大人として賢明な選択をし続けているうちにという事なのかもしれませんけれど、その選択を繰り返し続けているうちに、なにか後ろ髪を引かれるようなというか、湧き上がる一抹の寂しさとか、だからずれていってしまうのかな、そのずれを無意識が容認しているのであれば寂しさは湧き上がっ

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2017年10月19日 09:48

言葉を失うという快

言葉を失う、それは、その現象が発する強度に晒され圧倒された時。瞬時に飲み込まれ方向感覚を失った中で、ただその現象の持つ欲望の渦に初めは驚愕と共に、のちに心地よくなされるがままに身を任せるしかない、という快。晒された当初は、解釈不能なように思え、しかし時間の経過と共にある程度の冷静さを取り戻した時、解釈の不能という認識は、解釈の不要に改められる。言葉を失うほど素晴らしいものというのは、敢えて解釈を不要とする中で強度としての在り方を保ち、大切にそっと愛しさのもとで接し続けるのもいいのかもしれません。現実的な領域に触れたように感覚した時、それはラカン的な現実という事ですが、まあ本来的にはそれは、厳密

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2017年10月17日 09:33

本物に接すると

はりぼて、付け焼刃、フェイク、その場しのぎ、偽物、僕らの周りはそんなようなもので溢れている。でも初めから常に、そんなようなもの達に囲まれていた訳で、それを本物であると、もしかしたら思い込んでいる。「本物に触れてみましょう、心が豊かになります」と提案されつつ、これが本物ですと提示されたところで、それもまたどうなのか、相変わらずそれは、フェイクに本物らしさという装飾を施しただけのものなのかもしれないし。やはり本物というのは、自分自身で見出すしかない。本物、すれ違いざまに感覚する一瞬の異質感、それはそうですよね、フェイクに慣れ親しんだ僕らはそのフェイクを本物であると思い込んでいるのですから、本当の本

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2017年10月13日 08:53

愛の作法

猿の惑星、映画が放映されるそうですね、数十年前初めて見た時にはかなりワクワクしながら見ました、ただ、昔から一つだけ疑問に思っている事がある。人間は、進化と共になのか、発生当初からなのか知りませんが、体毛が薄い、体毛が薄いからこそ、今の愛の作法に自然と行きついたようにも思える、シルクや真珠を連想させるような滑らかさ、一見して判別が可能な顔立ち、魅力的な表情、風貌、体形。猿が言語を獲得する、人間と同じように複雑な思考が芽生える、言語が本能を追いやる、愛が認識される、その時、愛と生殖というのはどのように捉えられるのでしょうか。フロイト的トーテムとタブーのような状況に陥るしかないようにも思え、やはりそ

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2017年10月10日 08:47

ワクワク感

何歳になっても活動的なご高齢の方と接するたびに、やはり好奇心というのは大切なのだという事を思い知らされます。好奇心、なにか新しいものに興味を持つ事、なにか新しい環境に自分が入ってゆく事、自分がまだ知らぬものに接する事・・・・・・自分に新たな刺激を入力し続ける事。新たな刺激が入力されると、自分の潜在性が刺激される、その結果として今までにはなかった新たな自分が生成される、今までにはなかった新しい自分が自然と立ち現れてくる、何歳になってもさまざまな方向へ自分が分化してゆく、多様体としての自分、こういうご高齢の方から教えられるのは、人生というのはもしかしたら本当に、旅のようなものなのではないだろうかと

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