神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


記事のアーカイブ

2017年10月09日 09:57

欠如を実感し 突き動かされ

満たされているものに魅力を感じる事はできるのか・・・・・・ちょっと、違うかな、なんか言い方が違うような・・・・じゃあ「自分は満たされているのだ」と言うメッセージを発信し続けているものに対して、魅力を感じる事ができるのか。よく分かりませんが、そのものを見て暗示にかかったとすれば、魅力を感じるというよりは、憧れる可能性はあるのかもしれない。それか逆に、そんなものはフェイクであると、観察の後にシニカルに切って捨てるか。確かに、僕らは満たされ続けるなどという事はできようがない、もしそういう態度を表現しているものがいるとするなら、そしてそれが事実であるのだとしたなら、それは尊敬に値するのかもしれないし非

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2017年10月07日 10:37

自分は何故生き続けているのか

今日まで生きてきた中で一番ゾッとしたドラマの台詞はデスノートでデュークがライトくんに言い放った、あれは確かデスノートを使った者の行く末みたいなくだりで「・・・・・無だ」という台詞。この「無だ」という言葉自体に、大きな戦慄を覚えました。思い返せば、中学高校時代、思春期、割と哲学的思考に振れやすい時期。死ぬってなんだ?・・・・・死んだらどうなる?・・・・・生まれる前と同じ状態に戻る?・・・・・それってどういう状態だったっけ?・・・・・覚えてる?・・・・・覚えてない・・・・・自分は、無かった・・・・・なにも、ない・・・・・無、とか・・・・・無になる?・・・・・ただ、消滅する?・・・・・この問答は延々

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2017年10月05日 09:11

大人になった今でも

思えば、子供の頃から常に不安や緊張と共にあったように思う、死にたいまでは思わないにしても、消えたいとか、自分なんか必要ないとか、そんなような事も時々は思った。大人になった今でも、その不安や緊張といつも一緒にいるというのは、辛いことには違いないのだけれど、もしそれが同一化済みの自己だったとするなら、だから、不安や緊張と常に共に在る自分、というアイデンティティのような感覚、そう在るのが自分である、という想いの中で自分をギリギリ保っているという。それをいきなり根こそぎ改善しましょう、というのも実は結構きびしかったりもするんじゃないでしょうか。自分の今までの在り方や性格や対応方法を否定しなくてはいけな

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2017年10月02日 18:14

軽く病みながら生きる僕ら

何らかの精神的症状に苦しんでる人がいたとして、それはもしかしたら子供の頃から、もう長い間、ACとかボーダーとか依存の文脈、そして今風の表現としてメンヘラ、あと、摂食関連やリスカやOD等々さまざまな自傷に通じる行為もそう。その期間が長くなればなるほど、その症状を持った自分というものそのものが、自分の意味になる、ある種のアイデンティティにもなる。それを改善しましょうというのもカウンセリングなのでしょうし、逆にその状態とどうやって上手に付き合ってゆくか、そういう、ある意味バックアップ的な事もカウンセリングの役割なのだろうし。緊張や不安が高まって自分を責めたり傷つけたりしてしまいそうになった時、随時心

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2017年09月30日 09:21

動物的ハードウエアとしての

動物的ハードの上で思考というソフトが駆動するのか、ちょっとテキトーですしよく分かりませんが。思考というソフトは人それぞれが入力されている言葉によって全く違う。相手がどういう人か判断するには、本来はソフトを停止して、動物的ハードで直接感知した方が正確である、とか。ソフトで精査するという事は、自分の役に立つかどうかとか、利用できるかどうかとか、どうすれば相手から受け入れられるかとか、いちいちややこしい思考を経由しなくてはならない、というかそのややこしい思考の効果として大切な相手の本質を覆い隠してしまうという事実。ソフトで精査してハードに落とし込むのか、動物的にハードでダイレクトに感覚するのか。そう

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2017年09月29日 21:13

プライドについての2~3の言及、のようなもの。

自分が自分であり続ける為にとか、自分の名を汚さない為にとか、自分に恥じないようにとか、なにかそういったような湧き上がる衝動に突き動かされるようにして、頑張る、なぜ頑張るのか・・・・・・分からない、ただ自分がそうしたいからとしか言いようのない中で。その頑張るという態度の中には、常に誠実に、常に全力で、常に感謝や思いやりと共に、常に完璧に、常に最大速度で全てを凌駕し、失敗は最大限の謝意と誠意で挽回し。カッコつけてる余裕などない位に、ただ、自分が自分であり続ける為に、なりふり構わず、自意識などという邪魔なものは放り投げて(ここは本当は、無意識の主体でしかないものとして、という事なのだと思います)。・

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2017年09月29日 09:12

その人の何を見るのか

才能とか個性とかそんな事ではなく、なんだろうかこれは、固有性、特徴、そうですね、ただ、特徴というしかないのか、持って生まれた特徴、その人にもとから備わっている特徴、それは外見でも内面でも、優れた要素でも、逆にそうではないのかもしれない要素でも。人を判断する時というのは、まずは外見であったり容姿であったり、頭の良しあしであったり、そんなようなもので判断するのでしょうか。ただ、その判断材料がもし、持って生まれた特徴でしかなかった場合、なんですかね、不公平、そんな事につながる危険性もない事もないのか。だいたいが「なんで人が人を判断するの?」とも思いますけれど。もし判断するのだとしても、その時には持っ

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2017年09月28日 19:58

まずは、口に出した勇気に対して。

養育者に対して暴言しか吐かなかった人が、長い時間をかけて徐々に解氷され、ボソッと優しさを示す、そして、絶対に仕事なんかしないと言っていたのに、ボソッと「自分に何がやれるかな」と言う。それを聞いた周囲の人は、待ってましたとばかりに事を進めてはいけないのだと思います。優しさを示したり、自分に何ができるかと口にしてみたりという事は、本人にとってはすごく勇気の必要な事だった、間違いなく。はじめから、そうしたいのに出来ない自分というものにジレンマだって感じていたのだろうし。徐々に解氷される中で、勇気を出して一言発してみたその瞬間、その方向に向けて自分の心の準備を考慮に入れずに、周囲が一気にそちらの方向に

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2017年09月28日 09:34

ハタオリ機械

ハタオリ、人間が昔発明した簡易機械を操って、と言いますか、その簡易機械と人間が相互的に浸潤し、ひとつのハタオリ機械となり、織り上げる布。そうではなく、人間を締め出した上で、人間には自らの整備という任務を与え、機械自らが布を織り上げる、ハタオリ精密機械。織りあがった両者の布をナルシシズムに基づいて比較判定した場合「人間味が感じられる」「人の手を介したぬくもり」という言葉によって簡易機械に軍配が上がる。寸分の狂いもない完璧な美を誇る織布、誤作動を余儀なくされるハタオリ機械、精緻ではなさ、完璧ではなさ、不揃い・・・・・これらが人間味という言葉に変換される、いびつさというのは人間味という事なのか。あ、

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2017年09月24日 17:12

さまざまに利用される・・・・食

日々生活している中で人と接し、対応し、ある程度は自分を抑えて我慢しながら。そうしているうちに精神は疲れてくる、精神の緊張が高まったままにもなってくる。高まった精神的緊張は随時解放した方がいい、ストレスの解消とかストレスの発散とか言われますね。ストレスの発散解消の為のツールというのは、消費社会の中でさまざまに用意されていますから、多くの場合それらを用いるのでしょう。・・・・・・・いや、こんな一般的な事はどうでもいい、そういう事ではなくて、孤独感や不安感の中で頑張って他者と接する、緊張が高まればセンシティブにもなるでしょうし、人から投げかけられた言葉に大きく傷つく事もある。高まった精神的緊張を、消

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