記事のアーカイブ
2017年09月04日 09:04
家族モデルの一つとして、主婦としての母親、働きに出る父親、子供。家、家庭、家庭の外は社会、他人がたくさんいる社会。家庭という場所で守られている子供にとって、毎日仕事で外に出掛けてゆく父親というのは、社会の入り口であり子供と社会をつなぐ接点、社会を代表・象徴する存在が父親、子供は父親を通して社会を想像する、知る。子供は家で母親に守られている、家の外というのは子供にとっては異世界であり社会。その社会に毎日「いってきます」と出かけて行き「ただいま」と家に帰ってくる父親、父親というのは子供にとって、社会を代表する者、社会を知る者。社会の代表者としての父親、社会としての父親、社会としての父親が、時代と共
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2017年09月02日 09:21
ちょっと、真面目な話、自分に対して問い続けている事として、だからこれは自分自身に関しての事でしかないと思うのですが・・・・・・・そう、あくまでも自分自身に関しての事です。自分は生きているのか、生きているとはただ単に恒常性を保っているという意味ではなく「社会的に生きているか」という意味で。社会から、他者から、認識され機能している状態、それもポジティブに機能している状態、自身の欲望するところと社会がリンクして、それなりに役に立たない訳ではない状態に、自らを定義する事が出来ているか。ただ恒常性を保っている、身体を維持している、衣食住に安堵している、もしそれだけの事で、そこに喜びを感じられるのであれば
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2017年09月01日 09:20
9月・・・・・・ついつい、うっかりしている間に、いつの間にか9月、今年もあと4か月。今振り返ってみれば、ゴールデンウィークからお盆休みまでの期間があっという間だったのと同じように、ここから忘年会シーズンまでもあっという間である事は容易に想像できる。ーーーーーーここから先は自分に対して言いきかせているので、多少言葉が乱暴になりますがーーーーーーていうか、今年もあと残すところ4か月とかヌルい事を言っているからいつまで経ってもシャキッとしない訳で、そう、だったら取り敢えず平均寿命でも持ちだしてきて、平均寿命から自分の年齢を引いて、あと何十年と何か月とか、でも、平均寿命まで生きるかどうかなどという事は
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2017年08月31日 21:31
鬱状態が強くなって、心身がどんよりと重くなる、重力に逆らえなくなる。そういう時というのは一人でいる訳ですが、一人でいる中でどうしても自意識が働いてしまう、というのは当たり前の事でもあるのですけれど・・・・・。自意識というのは反省の意識でもある訳ですから、鬱状態での反省、内省、あまりいい事は考えられないですよね。人が鬱状態になる時というのは、自分一人で勝手に鬱状態に突入してゆく訳では決してない。自分と自分を取り巻く環境の間で、その両者の関係性次第で生成される。鬱状態になったのは自分が悪い訳ではない、自分だけに原因があって、自分一人で勝手に病んだ訳では決してない。まずはこの部分に了解・納得を得るの
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2017年08月24日 20:43
その人が周りに見せているその人、周りが認識しているその人、というのが正真正銘、ゆるぎない、確固たる、その人なのかというと、そういう訳ではない。その人の本質のようなものがあって、その本質がその人の今の環境に刺激されて、今のようなその人の、これはその人の、性格と言われるものを表現しているだけ、性格と言うのは形成されたというよりは今のように表現されているだけ、とも言える。その表現されている自分に初めから自分自身が自覚的なのかというとそういう訳でもなく、人から「あなたはこういう人だね、こういう性格だね」と指摘されて、気がつく、自覚するようになる、家族からであったり友人知人からであったり。性格と言うのは
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2017年08月24日 09:15
「あなたの理想の女性像は?」と聞かれれば、多くの人がそれなりの事は言う。体形や顔立ち、髪型や身長、色白とか小麦色とか、優しい、明るい、気配り、素直、知的・・・・・・・。でも、実際にはそう言った条件に合致しているのを確認後安心し「はいオッケーです、では好きになりましょう」という訳ではない。多くの場合、理由も分からずに好きになる、そして自分の事なのにもかかわらず理由が分からないという事実に対して芽生える不安を無意識的に払拭する目的で「彼女のこういうところが好き」という理由を、好きになった一瞬の後に、これはだから、こじつける、自分を納得させる為や人に説明する為に。些細な事でしかないのだと思います、好
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2017年08月20日 21:57
40代50代位になってくると、親が徐々に弱ってゆくのを目の当たりにして戸惑う。僕のところの場合は、母は妖怪人間としてピンピンしていますし、父はもう、早くになくなったのですが、誰の手も煩わせるとこなくアッパレな最後だったので、今のところは弱ってゆく親という経験はないのですが。しかし、うちの母みたいに普段は何でも一人でテキパキこなせるにもかかわらずーー5キロの米かかえて生協から歩いて帰ってくるくらいですからーーにもかかわらず、僕が手が空いているのを敏感に察知すると「あ、あたたたぁ、ちょっとごめん、これしまっといて、いたたたっ」と体が痛いふりをしつつ、僕が頼まれた事をやっているのを横目に見ながらスタ
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2017年08月18日 22:34
疲れ切ってしゃがみこんでいる人がいたとして、事情聴取のごとく質問攻めにしたり、いきなりその人を立ち上がらせようと励ましたり、歩き方を示唆したりするのは、よくない。質問攻めにするという事は、その人の疲れた脳の中に怒涛の如く情報が流れ込んできて、質問に対する回答を強迫的にし続けなくてはいけない、思考は休ませなくてはならないにも関わらず、余計な緊張感が芽生えてしまう。いきなり「大丈夫」とか「あなたなら頑張れる」とか、こういう言葉も厳しい「頑張れていない自分」と自分を責めることにもつながってしまう、そうそう「運が悪かったと思って」というのも場合によっては「なにをやっても運が悪い自分」と変換されてしまう
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2017年08月17日 08:56
生前の父を思い起こし、その在り方を今の自分と比較してみると、良くも悪くも似ている、さまざまなものを受け継いでいる。昔の人にしては珍しい、ちょっと斜に構えた態度、シニシズムに親和性のあるものの考え方、自分なりに納得しないと動かないところ。くっだらないダジャレ言って、思いっ切りスベリたおし、へらへら笑っている所。男の場合はどうなんでしょう、やはり多くのものを良くも悪くも、父親から受け継ぐのか、素直にそのまま受け継ぐ場合と、反面教師にする場合は勿論あるのでしょうが。女性が母親からなのに対し、男性は父親からなのか、これは一概には言えないとも思いますけれど。男の場合は、母親というのはそれなりに、なんだか
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2017年08月16日 08:13
「俺はスゲー」そりゃあ若い頃は、勿論こんな風に思っていました、20代位まででしょうか。それは今にして思えば、自分に何らかの実績がある訳ではないし、適切な自信がある訳でもないし、あるのは強固なプライドだけ、そして「俺はスゲー」という根拠のない自信だけ。ただ、若い頃というのは、この根拠のない自信のおかげで、行動する事が出来る、とも言える。何かをやろうとする時、それが成功する根拠を示せと言われたとして、何らかの根拠のもとにその行動を起こそうと考えていた時、その根拠を示し、万が一それを論破されてしまったとしたら、自信はたちどころに消失し、行動を起こす気力すら失せてしまうのかもしれない。逆に、そもそも根
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