神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


記事のアーカイブ

2017年07月28日 08:53

言葉がいらない関係

発せられる言葉の裏には、これは裏という事でいいのか、それとも中、発せられた言葉が包み込んでいる内側、発せられた言葉がベールの役割を果たして覆い隠す、まあ、よく分かりません、別にどれでもいいです。大抵の場合、発せられた言葉によって、その人の欲望は覆い隠されている、言葉は欲望を覆い隠す。理性的な言葉にしても、本音と言われるような言葉にしても、偽善と感じられる言葉、露悪的に吐き捨てられる言葉、どんな言葉も、欲望を覆い隠している。もしかしたら隠しているというより、言葉を発する動機、いや動機というより、原因、言葉が発せられる原因、どうしてそのような言葉が発せられたのかという事についての原因。言葉を発する

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2017年07月22日 21:24

まずは元気を・・・・

自分の今回の選択は失敗だったのか、自分のあの時の選択は失敗だったのか、そう思わざるをえない時というのは、ある。一回の、もしくは数回の、もっと言えば今までの多くの、選択が失敗だったように感じたとしても、その事を自分の人生そのものの失敗に結びつけなくてもいい、自分という存在を否定しなくてもいい、最終的な結論というのは、それは自分の最後の時にしか分からないのかもしれないし、もしかしたらそこでも答えは見出せないのかもしれない、この辺りはご高齢の方の話を聞くと僕はそういう事であるようにも思います。まずは、自分の失敗を失敗と認めるというだけでも勇気がある、それは見て見ぬふりをして自分をごまかすという選択も

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2017年07月21日 08:43

孤独

中小企業経営者、自営業者、会社役員、個人事業主、フリーランス等々・・・・・・こういう人達というのは、とても孤独なのだと思う、というか孤独の中で頑張り続けるしかないと言った方が適切なのだと思うのですが。...

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2017年07月20日 21:24

男とは・・・・・

世の中がどんどん様変わりしてゆく中で、学生のうちはまだそうでもないのかな、とは思いますが。社会に出ると今でも相変わらず「男とは・・・・・」みたいな言説はそれなりにまだ機能していなくもない。それはそうなのでしょう、社会に出ると自分とは違う価値観の上の世代の人達に指導されるのでしょうから。この「男とは・・・・・」というしばりというのは、けっこうキツかったりもします、精神力が充実している時は何とかなるのですけれど、疲れてくるとなかなかそうもいかなくなってくる。これは僕らの世代から下の世代、だから上は50代半ばから下は20代まで、かなり幅広く当てはまるように実感していて、カウンセリングの文脈で考えてみ

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2017年07月17日 21:22

自分が苦しくない場所

本当はかなり無理してギリギリ頑張っている時、その頑張っている事を周りの人から褒められる、承認される。それを手放しで喜べる時もあるのだろうし、逆にそうは思えなくて辛くなってしまう時もある。頑張っている事を褒められる・・・・・・頑張っているから認められる、頑張らなくなったら認められない・・・・・頑張っているからこそ、みんなは傍に居てくれる・・・・・・頑張らなければ、みんなはいなくなってしまう・・・・・辛くても無理して頑張り続けなくては、自分は見離されてしまう・・・・・・みんなが見ている自分は、本当の自分ではないのに・・・・・・・。自分がどんどん追い込まれていってしまいますね。さらけ出せる場所や本来

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2017年07月15日 08:57

かわいいという彩り

「かわいい」という言葉を連発すると、言葉が貧しくなってきているように思われがちなのかもしれませんが、決してそんな事はない、そんなステレオタイプで語れるものではない、みたいな事を、少し思います。「かわいい」の射程はどんどん拡大している、世の中を見渡してみた時、ちまたには実際に「かわいい」としか表現しようのないものが溢れている訳ですし。その「かわいい」としか表現しようのないものに対して、それは消費社会の中で提案され与えられたものに対してのみ当初は「かわいい」という表現を、そこでは、迎合の身振りも含めて使っていたのでしょうが、それが徐々に与えられるものから見出すものに変わってきた「かわいい」が既存の

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2017年07月14日 08:41

親孝行

親孝行というのは、何をもって親孝行なのか?社会の変化に合わせて「われわれ人間はこうあるのが望ましい」という各種の概念が生み出される、それは進歩や進化というよりは、さまざまに形を変えながら存在し続ける社会の要請によって、今の社会においてはこうあるのが望ましい、というある種倫理的な。親孝行という概念というのは、人類の歴史の中のいつの時点で発生したのか、本能のなせる行為ではないようにも思うので、だから理性、理性が芽生えるのは言語によって、じゃあ言語の複雑な進化に伴って・・・・・・とかなると。ちょっと時期尚早であるかのようにも思え。人間以外の生き物はどうなのかと考えてみた時、人間に近いところで、野生の

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2017年07月13日 09:00

誤作動する主体

これは、よく分からない、ほんとよく分からないのですが。学生生活の中で様々な知識をインストールされる、それは社会に出て、その社会で自分が社会の要請に合わせて適切に作動する事が出来るようになる為に。そして就職を果たし、どこかの会社に入社すると、今度はその会社の社風や理念や仕事の仕方をインストールされる、それもその会社の要請に合わせて適切に作動する事が出来るように。自分にインストールされたものに疑問を抱かずに、プログラム通りに作動する事が出来れば、それは自分は適切に作動しているという事なのか。という事はそれは逸脱する事なく、正確に作動している状態と言う事でいいのか。その時、自分の意思というものは、イ

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2017年07月12日 18:32

尊敬する人

「尊敬する人」というのは、当初は勿論自分にない要素を持っているように感じて尊敬するに至ったのかもしれませんが、まあこれは、いつまでも憧れていても、敬愛していても、埒が明かないというか。尊敬する人に、自分にない要素を見出したのだとしたら、その要素を自分が取り込んで、自分もそれを表現してゆければいい。「尊敬する人」などというものは、自分が乗り越えてゆくもの、打ち破るもの、べつに乗り越えたからって尊敬の念は変わらないですよね、自分を成長させてくれたという、感謝も芽生えるのかもしれないし。尊敬される方にしてみても、いつまでも憧れを向けられているより、自分を喰い尽くしてゆく頼もしさを見せつけてもらった方

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2017年07月12日 09:36

新たな自分 意外な自分

思うに、自分は、希望や絶望というものから距離を置きながら、それらを意識的に遠ざけながら、生きているのかもしれません。というのも、絶望してしまったら上手く生きる事はできないし、逆に希望というパラノイアックな虚構をもし見据えたとしても、現実的には何処へ向かえばいいのか、迷うばかり。まして希望と絶望というのは表裏一体、センシティブな中では簡単に反転してしまう。 人は誰しも、自分の中でまだ顕在化されていない要素、いまだ知ら無い自分、まだ表象されていないもの、もし、生き続ける中で、多様体としての自分の潜在性の一つでも多くの部分を、見出すことが出来るのだとしたら。それは流れの中ででの自然な形の意

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