記事のアーカイブ
2017年08月14日 08:34
大野君の演技に余程魅入ってしまったからこそなのでしょう、忍びの国の無門の戦い方に、映画を見て以降ずっととらわれている。無門と平兵衛の戦い、川と名付けられていた戦いの作法、これをシステムと捉えると、とか言ってもしょうがないのですけれど、でもシステムと捉えると・・・・・「戦う」を作動させるシステム、そのシステムには勿論、システムを構成している何らかの要素があるーーシステムを動かすには部品が必要ですからねーーその要素というのが、無門であり平兵衛、「戦う」を作動させるシステムに二者が入り込む時、外部から二者は遮断される、それはそうですね、入出力はないのですし外部との境界はそのシステム自体が決定するので
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2017年08月11日 08:09
二者の間に力関係があったとしても、その事とどちらが偉い、とか言う事は一切関係ない、そこに在るのはただ、社会的な役割。こういうのはどうなんでしょうか、一見社会的には力関係が上であると見なされる方が、きちんと意識し続けない事には・・・・・と思います。僕の親くらいの年齢の方からは「偉い人」とかいう言葉を聞かされたこともよくありましたが、その「偉い人」というのは、社会的な立場がある人や権力がある人だったように記憶しています。本来は社会的な立場や権力がある事と、偉いという事は別ですね、と言いますか僕は本当は「偉いってなんだ?」とも思いますが。社会的立場や権力がある人が「自分は偉い」とはまさか今の時代は思
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2017年08月06日 22:28
個性、固有性、自分らしくある事、自分そのもの性、自分そのもの性として生きる事、それが自分の人生を自分そのものとして生きるという事なのでしょう。そして、そういう自分で在りたいと思った以上、誰にでもその権利がある。LGBTIQ的な文脈においても、最近はテレビ等のメディアを通じて公言なさる方もいらっしゃいます。そしてそこでは自然と受容されている場合が多いように思います。大切なのは、やはりこの「自然と受容」という事なのでしょうね、自然と、その人そのものの在り方として受容する事、人としてのさまざまな、人それぞれの在り方があっていい、という事を当たり前に理解する中で。特別に気にかけるとか、気遣いを欠かさな
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2017年08月04日 08:35
依存・・・・他のものによりかかり、それによって成り立つこと。なのだそうですが、考えようによっては別に悪い事でもなんでもない、要はイメージなのだと思うのですが、そしてこのイメージというのは、上記のような依存の定義ではなくて、嗜癖としての依存のイメージ。嗜癖としての依存を他者に向ける時、そのターゲットとなった他者は、極端な場合、行きつく先は極度の疲弊、そして破滅、これはやはりよくない。そうではなく、冒頭のような依存の定義であれば、これは自然な人の在り方でもある、よりかかり、というよりは互いに寄り添い合いとか、支え合いとか、これは自立した個人同士においてでもそうなのだと思います。人というのは、自分以
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2017年08月03日 21:37
ムシムシと暑くなってぐったりしたり、そうかと思うと半袖でじっとしていると二の腕がヒンヤリしてくる夏とは思えないような気温になったり。一日ごとに気候が、僕らを取り巻く環境が極端に変わる、これはバテますね、雨にしても降り方がやたらと極端。 気候の変動的な事というのはよく言われますが、これは地球というものが、人類が発生し、その人類が繁殖増殖し、文明を科学を発展させる中で「物言わぬ自然界に対する、人類の暴力的介入」のような事が行われた結果として、この地球が、今初めて経験している事なのか、もしくはそうではなく、人類以前にもそういった気候変動というのがあって、だからこれはただサイクル的なものなの
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2017年08月02日 12:51
時々話にのぼる、何をベースにしてものを考えるか、というのは・・・・・やはり、人それぞれに合った理論とか、そんな様な事にはなるのだと思うのですが、色々かじってみて、自分に合いそうなもの、ただ合うだけではなくて、頭で理解するだけではなくて、腑に落ちたもの、さまざまな理論がある中で、自分の腑に落ちたものというのが唯一、使い勝手がいいように思います。僕は、精神分析であればラカンやクラインやビオン。哲学、というかポストモダン以降の思想だと、フーコーやドゥールーズ、ドゥールーズはとにかく前向きに考えさせてくれるのでかなり重宝しています。あとは社会学とかシステム論とか工学系や脳科学も少々。ベイトソンの学習理
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2017年08月02日 08:56
お互いの年齢が違っても、性別が違っても、立場が違っても、そんな中でも対等な関係を築きたいと思う時に大切なのは、自分が何にでも興味を持つ事、自分が知らないことに興味を持つ事、なのだと僕は思います。相手には相手の生きてきた歴史があって、自分とは違う環境に身を置いていて、相手には相手の趣味嗜好や考えや想いがある・・・・・・と言う事は、当たり前の事ですが自分が知らない事をたくさん知っている訳です。自分の知らない事について相手に話してもらう、それは、自分が知らない事を相手から教えてもらうという事。その時、自分の中に「自分の知らないことに興味がある」という思いさえあれば、相手というのは自分の知らない事につ
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2017年08月01日 09:01
何に美を感じるのか、何を美しいと思うのか、美しさとは何たるかというのは、人から教えられる、もしくは押し付けられるものではない、自分の外部から教育・常識という名目でもたらされる知識ではなく、自分の内部から湧いてくる感覚でしかない・・・・本来は。・・・・・・最大公約数的な美の定義ってなんだ? という事は思います、でもその最大公約数的な美の定義があるからこそ、ミス○○とかが成り立つのでしょうが、まあ、商業ベースなのかもしれないですけれどね、そういうイベントにはさまざまなスポンサーもつきやすいのでしょうし、消費社会な訳ですし。何を美しいと思うのか、何にみとれるのか、何にため息をつくのか、そんなものは個
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2017年07月30日 09:13
動物界においては、オスの方が美しい動物も多い。人間界は逆なのでしょうか、どう考えても女性の方が美しいように思える、それは勿論、化粧や服装の効果もあるのでしょうが。人間だけは動物から遠く離れて、美しさの定義自体が変わってしまっているかのよう。人間を動物の延長であるともし考えるのであれば、オス・・・・というか、男性の見た目や身体のどこかに美しさを見出すのか、何だろうかこれは、体格?骨格?筋肉?ギリシャ彫刻的な筋骨隆々さ?身体的な強さとか筋骨隆々な感じとか、そういう事になるのか。食料の確保とか、狩猟とか、格闘とか、そう言う事を考えれば、やはり身体能力の高さ=男性的な美しさ、元々はそうであったものが、
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2017年07月29日 17:30
ーー愚痴や弱音の中にこそ改善のヒントがあるのだと思いますーー何か問題や不調を感じている時や改善したいことがある時、悩みがある時、自分を保った中で理性的に、最初から建設的生産的に話したり検討したりする中で、なんらかの答えが得られる場合も、ないことはないとは思うのですが・・・・・・自分の感情も納得させる事の出来る改善方法という事で考えるとどうなのか。まずは安心感の中で、思いっ切り愚痴ったり、弱音を吐いたりする事もとても大切、そしてその部分からこそ、より本質に近い改善のヒントが導き出せる、のだと思います。愚痴や弱音というのは、言ってみればそれは装飾を取り去った、より本音に近い自分な訳ですから、改善の
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