記事のアーカイブ
2017年07月09日 08:48
「今を生きる」と宣言する時の、その「今」というのは、いつの事なのか、いつが今なのか、今というのはどこにあるのか。「はいっ、今」と言った直後に、その時指し示された今というのもは過去になっている。だから、今というものは「点」としては捉えようがない、今というのは流れてゆく時間でしかない、今を実感しようとした時、その流れてゆく時間の中に、自らを没入させるしかない。その時自分は時間の流れの中に内在しているのだから、時間の流れを把握する事が出来ない、時間の流れを把握するには、その流れている時間を、流れの外から観察するしかない。今を生きるというのは、我を忘れて、夢中になって、時間感覚すら喪失した中で・・・・
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2017年07月07日 22:30
平均寿命からすると男の方が早く死ぬ、となるとどうしても自分の親というのも、父親の方が早くいなくなったりする確率も高いのか、僕の親もそうですけど。父親、いや父親などという言い方は、どうかな、親父、うちの親父としか認、識していませんが、その親父というのは、なんとなく自分にとって不思議な、得体のしれない存在でもある。自分が子供の頃は、まあ3歳位までは親父も僕に対して思いっ切り優しく接していた、とか自分では言っていましたが、僕はそんな時期の事は殆ど覚えていないので、だから物心ついたころには、厳しい、威圧的な、自分を規定してくる、抑えつける、目の上のタンコブ的な鬱陶しい、時には恐怖の象徴のような存在でし
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2017年07月06日 18:34
光学的反転、自分の正面に回って自分を見る事はできない、自分を見ようとした時には鏡に映った左右が反転した自分というものしか見る事が出来ない。その時ネームプレートとか胸元に付けていると、自分の名前も一緒に反転していてなんかちょっと不気味だったりもします。今はネームプレートじゃなくてIDカードですか、よくぶら下げている方をお見かけしますが、アイデンティティカード、だいたいがアイデンティティみたいな概念があるから多重人格が発生したとか言われなくも・・・・・・・すいません今はこの話じゃないです。鏡に映る左右が反転した自分というものが、自分の中での自分のイメージという事になるのでしょうが、人が自分を見る時
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2017年07月05日 08:43
昨晩、マツコさんの番組でアニソンを取り上げていて、ゴダイゴがゲストで出演して銀河鉄道999を歌っていた、かなり懐かしかったです。たしか中学生の時ゴダイゴのLPは買いました。あれは主人公の哲郎少年が大人になってゆく軌跡的な・・・・・。それはそうと、今は大人になる必要がない時代、成熟する必要がない時代、その昔、社会が未熟だった頃には、人は率先して成熟して、大人になって、社会を支えなくてはならなかった。しかし社会が成熟した今、人は成熟せずに、大人にならずにいたとしても、許される、社会は人々をそれとなく支えてくれる。「卒業」という言葉はあちらこちらで耳にしますね、アナウンサーの方が番組を・・・・卒業、
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2017年07月03日 22:14
ホール&オーツのManeaterが流れていて、懐かしさに思わず、なんとなく口ずさんでいる時、ふっとマスカレード的なヴィジョンが立ち現れた。仮面舞踏会、でしょ、だからなんなんだろうか、これは別に意味なんかないのかもしれないけれど、意味のない事を思案するのも、悪くははないですから。えーと、僕らは常に、それぞれの日常の中で、それぞれの仮面を装着して、舞踏会というよりは、自分の人生の演台に立ち続けている、観客はただ一人、自分の素という空疎・・・・・・・・・・とか言いだすとまた訳が分からなくなりますから、どうしようかな。僕らは常に何らかを、何者かを、演じ続けている、それは物心がついてから、という事は社会
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2017年07月03日 09:07
ビジネスとか、対人関係とか、さまざまな自分に起きた現象に対応する為に、何らかの学問を勉強をする、その学問というのは、今更心理学でもないのだろうけれど、でもやっぱり心理学的なものや心理学から派生したようなものが筆頭にくるのですかね。心理学・・・・・あくまでも「学」ですから、それは一般論の範疇を出ないものであったり(と言うより一般論に人を追いやるものであるとも言えるのかもしれませんが)、社会に上手に対応するにはどういう心理でいるのが望ましいのかといった理想的モデルであったり・・・・・・とは言いつつも、この理想的モデルを語る時の理想というのは、誰にとっての理想なのか、人間個人個人についての理想なのか
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2017年07月01日 08:26
7月、あろうことか、今年も半分が過ぎ去った訳で、時間が過ぎてゆく速さを悪寒と共に実感するたび、思い出したように「自分はどう生きるべきか」などという哲学的な思考に自分を追いやってしまう。まあ、それはいいです、誰しも時間には抗えないのだし、過ぎてゆく時の中に自分自身を投げ込むしかないのだし。時というのは永遠なのかもしれないですけれど、それもどうなのかな、いつかは万物にとっての時、というものにすらも終末は来るのかもしれないし、まあそんな事はどうなるのか分からないし、時が永遠であったとしてもそうではなかったとしても、それは個人個人には関係ない、僕らに大切なのは、僕らが持っているそれぞれの時というのは、
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2017年06月30日 08:49
飽和状態の社会の中で、何に欲望を向けるのか、欲望の矛先は無数に用意されているのですから、逆に何に欲望を向ければいいのか、迷う事しかできない社会。無難な選択としては、人が欲望を向けているものに対して、自分も欲望を向けるという身振りを演じる・・・・・・・自分を捨て去ってしまえば、それは生きやすい社会という事なのかもしれないですけれど、結果的には「自分が空っぽ」みたいな話につながりかねない危険性も孕んでいるのかもしれません。自分が何を欲望しているのか、今の時点での自分個人の欲望の矛先が明確である事。欲望している自分を本気で演じながらも、客観的視点を失わずに、本気で演じている自分を楽しめる能力。論理的
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2017年06月29日 09:00
仕事とか人間関係とか、そういうものを円滑に進める為には、自分の中に自然と芽生えてしまった感情を抑えなくてはいけない事もある、環境に適応する為に、人に嫌な思いをさせない為に、勿論嫌われない為にというのも大切な理由。環境の中で生き続ける為には、ある程度は良い自分を表現しつつも、黒い想いは自分の中に抑え込む感じなのかもしれません。黒い想いが、時間の経過と共に徐々に薄れてゆくのであればそれでいいのだと思います。でも、薄れる間もなくあまりにも矢継ぎ早に黒い想いが抑圧されると、どんどん蓄積されると、その黒い感情や言葉がいつの間にか、自分の精神や身体を攻撃する毒にもなってしまう、毒は自分を弱らせますね、特に
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2017年06月27日 08:46
アマゾンプライムビデオを検索している時、なんとなくウルトラマンシリーズに目がいってしまって、何の気なしにクリックしてチラッと見ました。最近のウルトラマンは僕らが子供の頃のウルトラマンとはだいぶスタイルが変わって現代的になっていて、少し気になってネット検索していたらウルトラマンのフィギアに行き着いた、その中にウルトラの母のフィギアも沢山あって、何故かそれが僕のイメージしていたウルトラの母とは全く違っていて、やたらとかわいかったり魅力的だったり、ラムちゃん、レイやアスカ、ナミのフィギアは普通に見た事があったけれど、ウルトラの母に関しては僕は初めて見ました。少女と成熟した女性の違い、ただ、肌の質感と
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